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三箇日

ここ数年、元旦から三日間は、
毎朝、シンプルなおせちとお屠蘇がわりに
日本酒8勺、切り餅2ケの雑煮で過している。

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おせちは、3つにってある。
まずは、黒豆。
丹波の黒豆
を家人が暮から約20時間、
砂糖
を何度も取り換えて煮た物である。
ツヤツヤとして、ふっくらとまろやか。
甘さの中にほんのりと豆の
みが溶け出している。
まァ、これは欠かせません。
この黒豆は、
かいとダメになるので、
何やら、さまざまなものでいっぱいに
なっている
蔵庫でなく、
家の外に出して、日持ちさせる。

続いては、

である。
充分に塩気を抜いて、出し汁に浸しておく。
この数の子に築地タイコウの「花くらべ」
という本枯節を削ったものをかける。
そして、少しだけ、醤油を落としてやる。
醤油は島根県の古式井上醤油である。
香りがあり、ピリッとしながら、
やわらかに日本の味へと導いてくれる。

そして、紅白の蒲鉾は、
わがふるさと愛媛県の八幡浜谷本蒲鉾店の、びり鯛である。
小振りのの上に、しっかりとした味わい
(関東の蒲鉾はなんであんなに甘くて大きくて、
ドデッとしているんだ。ホント、喰えたもんじゃありませんナ)で、
コシコシとしたごたえ、
瀬戸内や豊後水道の小魚の味がぎっしりと詰まっている。

この3点が僕のおせちである。
これを肴に、お屠蘇として、
新潟の酒処、長岡の朝日山酒造の「越淡麗」を一合弱いただく。
朝日山は、戦後、朝日のラベルで
新潟の酒として一世を風靡しつつ衰退していったが、
日本酒好きならみなさんご存知の
「久保田」ブランドによって再生した。

もちろん長岡には吉の川等数々の銘酒があるが、
僕は、朝日山です。
名前がいいじゃありませんか。
月、日山。これですョ。
黒牛だの白鹿だの、ましてや焼酎やワインではいが出ません。
<朝日山>、です。
この朝日山酒造が、数年前から、
クラシックな朝日山のラベルの赤を紺に変え、
クラシックモダンに手を入れたデザインのラベルの
「特選 朝日山」を4合瓶で出し始めた。
これが、イケるんです。
僕の子供の頃の「酒」の記憶を外さず、
洗い、磨き、練り上げて、サラリとさせた逸品です。
そして、それをさらに、品良く仕上げた「越淡麗」が
今年のお屠蘇になった。
徳利はA井慎平さんからいただいた彼の上の作である。
新バカ大将の綽名をつけられた瀬戸のモダンな作陶家のものである。
は、かつて僕が在籍していたSA社の後輩N倉君とM屋嬢が、
僕の暦還りの祝いにプレゼントしてくれた赤の入った江戸切り子です。

そして、雑煮は、切り餅を2個焼く。
僕の田舎では、丸餅だが、東京に来てから角餅になった。
餅が焼ける間に出しをとる。
羅臼の昆布、これは大阪いや、
日本でも1、2の昆布屋土居商店のものである。
昆布一切れが、鍋の中でのびのびとして来て、沸騰する。
そこへ、タイコウの「だしこれ」という鰹節の削ったものを入れ、
火を止める。出し汁だけを濾して、少し酒を足し、
うすくち醤油をホンのちょっとたらし、
餅、春菊、それに揚げ巻を一枚入れる。
揚げをご存知の方は少なかろう。
蒲鉾のすり身をロール巻きのように油揚げで巻いたものである。
これも八幡浜谷本のものが良い。
なぜかと言えば、この谷本の揚げ巻には、
まん中にほんのりとが入っている。
目出度いじゃないですか。ねェ。
存知ない方は一度、
ネットでお取り寄せいただくとよくわかる。
これ2~3枚切ったもので、充分、
飯も食えれば、酒も飲める。
(しかし、みな今の僕の体に良いとは言えないのが辛い)
人生、しい事もあれば、い事もある。
こんな風に両方いっぺんに押し寄せて来る事もある。
目出度い、かな?

われながら、何とも沢ですナ。
それから、は氏神さまの天祖神社初詣の折りにいただいた
杉の割り箸である。
この箸を三日間使う。
しかし、この天祖神社、どうも、パッとしない。
こんな事を言うと神様に怒られそうだが、
少しづつきれいになってはいるもののさな社なので、
どうも迫力がない。
とは言え、そのましさが、氏神様的にも良いのかも知れない。
今、住んでいる家を買い、
改築した時に来てもらった若い神主も、
今は、頭髪に白いものが目立つ年頃になった。
初詣をし、お札を買い、福箸をいただき、
家に戻ってお札を新しいものに変え、
この正月料理にかかるのが、
ここ数年の僕の元旦である。

丹波、八幡浜、島根、越後、羅臼、浪波、江戸、瀬戸、築地…
たったこれだけの正月料理に、日本全国が並んでいる。
景気は悪い。景気が悪いが、この食卓には豊かさがある。
一年を始めるぞ、という気概がある。
と、は思っている。
それが、この正月三箇日の僕の食である。
長き来し方、短き行く末を想いつつ、
三箇日、毎朝、正月をこの食事です。

日本人とか、行事とかというふうに、形式的にとは思っていない。
新しい年を迎えるための僕の心持ちをかめる食卓である。

黒豆も、数の子も、蒲鉾も、酒も、雑煮も、みな旨い。
文句のつけようがない。

文句のつけようがないスタートを切ったのなら、
この年もゴールまで文句のつけようのないよう
走り切らねばなるまい。そういう意味がある。

自身が自身に文句のつけようのない日々を、
どうやって組み立てるのか。
「超淡麗」のな酔いの中で、ボンヤリと考える。

こうした三箇日が、後、何年けられるのかなァ。
それも、朧なものだ。

よく考えてみれば、今まで、ずっと
朧にきてきた事がわかって来る。

そんな自分にあきれながらも、あきらめない自分がいる。
今年も、また、そんな三日間であった。

日本も、世界も本気で市場経済至上主義から脱し、
デモクラシーの次代型を実施し始めなければ、手遅れです。
もう、手遅れになりつつ、ですョ。
もし、次代型デモクラシーが完成に近づいても、
まァ、その頃、僕は、もうにいるだろうけどネ。
ハ、ハ、ハ.
やっぱ、ちょっと無責任かなァ。
年初から反省であります。

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