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    <title>Taosa World</title>
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    <updated>2010-03-01T13:08:42Z</updated>
    
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    <title>三つの涙</title>
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    <published>2010-03-01T13:07:59Z</published>
    <updated>2010-03-01T13:08:42Z</updated>
    
    <summary>瀬戸内沿岸の城下町に生まれた僕は 雪や氷には、トント縁がなく、 冬期オリンピック...</summary>
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        瀬戸内沿岸の城下町に生まれた僕は
雪や氷には、トント縁がなく、
冬期オリンピックには、ほぼ無関心だったが、
今回は、なにやら不思議な盛り上がり方に興味を憶えた。

        <![CDATA[<img alt="maomao2.JPG" src="http://taosa-world.net/maomao2.JPG" width="319" height="217" />
バンクーバー<span class="big">五輪</span>のだいぶ前だったが、
NHKで女子スピードスケートの
岡崎<span class="big">選手</span>のドキュメンタリーをやっており、
あんなに若々しかった岡崎選手が急激に老け込んだかの様に見え、
(特に歯の色の悪さに出ているようだった)びっくりした事や、
15歳の高木選手の何とも<span class="big">素朴</span>な、こんな中3生なんて、
東京にはいないよなァと感心しつつ、
北海道という<span class="big">地</span>の、人の育て方に驚いたりと
本来？の興味の持ち方と違う所から
ズルズルっと<span class="big">入</span>ってしまった。

女子モーグルのお騒がせ選手里谷や
美少女年鑑から<span class="big">抜</span>け出て来たような上村選手が人妻であるとか、
織田信長の末裔の男子フィギュア選手とか、
競技ではない、まァ、女性<span class="big">週</span>刊誌的情報が
競技にどのように影響するのか、
実の所、<span class="big">タノシミ</span>にしておりました。

すると、開会式から、いきなり、東海大ハーフパイプ競技の
国母選手の<span class="big">服装</span>問題に話題が集中したのも、
まさに、女性週刊誌的であり、これはこれはと思わされた。
僕も、19や20の頃は<span class="big">優</span>等生的な子供ではなかったので、
彼に同情しつつも、周囲の人たち例えば監督やコーチとか、
何とか委員だとか<span class="big">税</span>金を使ってぞろぞろ一緒に行くわけだから、
こいつはちょっと危なそうだから注意しておこうとか、
という心<span class="big">配</span>りが無かったのではありませんかねェ。
それにしても本人も、国の代表で出るオリンピック文化と
スノボー<span class="big">文化</span>との違いくらいは、
理解する努力は必要でしょう。でもサ、ちょっと叩き過ぎだよね。
日本のマスコミって、<span class="big">陰</span>湿な日本のムラ共同体の代表者的で、
やたら権威に弱くて、個人の心を大切にしない傾向が強すぎないかなァ。
何でも、お<span class="big">涙</span>ちょうだい、何でも、正義の味方みたいな事で、
報道というものの意味すら解っていないよね。ヒドイもんだ。

そうしたマスコミやそのマスコミに
いいように<span class="big">影響</span>されている日本の人たちの
興味の集まる格好の種目となったのが、
女子<span class="big">フィギュア</span>だろう。
浅田真央対キム・ヨナ。日韓対決。
ジュニア<span class="big">時代</span>からのライバル…いやァ、こりゃあ、
マスコミさんたちのオイシイオイシイ話にあふれていました。

結果はご<span class="big">存知</span>のとおり。
ショートプログラムでは、キムにちょっと点数が甘い気もしたし、
もちろん<span class="big">フリー</span>でも。
しかし、採点競技だもの仕方ないョ。
確実に、キムの方が<span class="big">実力</span>は上だったね。
結局、コーチの方針の差が点数の差を過剰にしたのではないかなァ。
いずれにしても、浅田より<span class="big">キム</span>の方が上でした。
スピード、技術力、演技構成の無駄の無さ、
ジャンプ<span class="big">前後</span>のスケーティングや手や足や目の動きで
流れをつくる上では、キムは浅田よりも一枚も二枚も上手だった。

という事で、3位には、地元カナダのロシェット選手が入った。
もちろん素晴らしい演<span class="big">技</span>力ではあったけど、試合前にお母さんを
亡くした彼女への同情点もあったように、素人目には見えました。
と言うワケで、この3人とも<span class="big">泣</span>いた。
その涙の差がメダルの色の違いではなかったんじゃないかなァ。
キムは、本当に<span class="big">重圧</span>から抜け出た瞬間の
純粋な心の涙であったように思えた。
浅田は、自分の<span class="big">力</span>の足りなかった事を認めざるを得ない、
次のステップのための悔し涙だったのでしょう。
ロシェットは、やはり、<span class="big">母</span>への思いという
自分に対する憐憫の涙に他ならない。

金、銀、銅、３つの色の違うメダルに共通して流れた涙は、
それぞれの色の違いの如く、まったく<span class="big">異</span>る涙だったのが、
とても印象的だった。
そして、メダルに<span class="big">届</span>かなかった安藤選手や長洲選手に
涙が無かったのも、スポーツならではという事だろうか。
オリンピックは、<span class="big">国</span>を背負ってというが、
もう、国を背負うような気持ちでは勝てないという事を
誰もが<span class="big">感</span>
じられるオリンピックが、
このバンクーバー冬期オリンピックだったと言えまいか。

<span class="big">個人</span>のために<span class="big">個人</span>が戦う。
ロシアに国籍を移したフィギュア・ペアの川口選手や
日本国籍を<span class="big">選</span>んだリード姉弟、アメリカから出てきた長洲選手、
等もう始まっている
高校野球だって<span class="big">地元</span>の選手が一人もいない学校もある。
目的が甲子園だから当然です。
つまり、オリンピックが<span class="big">世界</span>のトップレベルのベストの
大会だとしたら、今後、この傾向はもっと加速するだろう。
それは、スポーツや選手にとって<span class="big">凄</span>くいい事だと思う。

そう考えると、
日本でなにがなんでもオリンピックと言う石原<span class="big">慎</span>太郎の考えは、
もう饐えた匂いがしそうな程に古くさい。
ヤキがまわった<span class="big">証拠</span>だネ。

このオリンピックの間、朝日新聞の夕刊に
オリンピックコラムが<span class="big">連載</span>されていたけれど、スピードスケートで
3度続けてオリンピックでメダルを取り（長野では金）
世界のトップに<span class="big">君臨</span>した
清水選手のコラムは秀逸だったなァ。
朝日の記者が<span class="big">書</span>いたものなんて読めたものじゃなかったョ。
しかし、清水君、世界の第一戦で戦い続けただけの事はあって、
着眼点も<span class="big">良</span>く、分析も良く、何より志が良いのに、ついつい
読まされてしまった。彼の能力なら、ウィンタースポーツに限らず、
さまざまなスポーツで面白いものを<span class="big">読</span>ませてくれそうな気がする。
遅からず、どこか、雑誌か新聞で再び登場して欲しいものです

でもさ、NHKも、同じ競技ばかり、しかも日本選手が活躍した
シーンばかり<span class="big">何度</span>も流さないで、僕たちが良く知らない、
日本選手が出ていなくても凄い戦いがあったものを選んで
流して<span class="big">欲</span>しかったなァ。
NHKの公共性ってそういう事じゃないの。
あれじゃ、まるで、<span class="big">民放</span>のタレント解説付きスポーツ中継と
根っこは同じですョ。

ところで、カーリング<span class="big">娘</span>たちは敗れたけれど、
彼女たちのおかげで、カーリングという競技をじっくり見たら、
<span class="big">僕</span>もやってみたくなった。
でも、少なくとも4人は必要だし、
相手チームも<span class="big">必要</span>だし、ムツカシイなァ。
でも、結構面白そうだったよナ。

オリンピックは、マラソンの<span class="big">円谷</span>選手が東京オリンピックで
銅メダルを取りながら、その後プレッシャーに耐えかねて
<span class="big">自殺</span>した(あの遺書は実に、美しいものでした)時代と
大きく<span class="big">変</span>わった。

新しいオリンピックが<span class="big">始</span>まりかけた今、
人類の考え方も新しくなる必要があるという事なのだろう。

ナショナリズムや国境を超えて、個人個人が人間としての誇りを賭けて、
地球レベルでその人生を<span class="big">戦</span>う。結果、世界を前進させるのです。

今夜から、もう一度、先日<span class="big">亡</span>くなった
20世紀の<span class="big">哲</span>人レヴィ・ストロースの「悲しき熱帯」を読んでみよう。

<span class="big">終</span>わりは<span class="big">始</span>まりだものなァ。

きっと、<span class="big">僕</span>にとってもね。





]]>
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    <title>２つのラグビー</title>
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    <published>2010-02-17T10:10:38Z</published>
    <updated>2010-02-17T10:11:32Z</updated>
    
    <summary>雪は降る。霙は降る、雨は寒さを濡らす。 そんな厳寒の日々が続いている。 ところが...</summary>
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        <name>Taosa</name>
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    <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://taosa-world.net/">
        雪は降る。霙は降る、雨は寒さを濡らす。
そんな厳寒の日々が続いている。
ところが、この日曜日、
ひょっこりと太陽が顔を出した。

        <![CDATA[<img alt="rugby2nin.JPG" src="http://taosa-world.net/rugby2nin.JPG" width="251" height="174" />
そうだ、今日は、ラグビー<span class="big">日本</span>選手権2回戦だ。
NTT対トヨタは、実力どおりトヨタがNTTを下した。
とは言うもののトヨタのゲーム<span class="big">内容</span>は
決して誉められたものではなかった。
NTTは<span class="big">来</span>シーズントップリーグでやるには、
外人頼みが強すぎる感じがしないでもないが、
（それはどこのチームとて同じことなのだけど）
どこかで、大物を<span class="big">喰</span>ってしまうような可能性も
なくはないだろう。
特に、マーク・ジェラードの<span class="big">働</span>きは大いに
期待していいかもしれない。

さて、お目当ての試合。
学生<span class="big">№１</span>の帝京対ＮＥＣだ。
試合が始まる頃から、急に冷え込みだした秩父宮。
上空から太陽は姿を消し、厚い<span class="big">冬</span>雲に覆われてしまった。
学生どおしだと、相手を圧倒してしまいそうな
帝京フィフティーンの<span class="big">体</span>格も、
トップリーグの上位NECと較べると見劣りする感じだった。
体格はあっても、<span class="big">力</span>感で負けていた。
NECがモールであっさり先制するものの、
今シーズンのNECの<span class="big">弱</span>点とも思われる
ミスの多さに得点を積み上げられない。
両チームともトライパターンが少ないだけに仕方のないことかもしれない。
と言って、接点での<span class="big">緊張</span>感もさほではない。
帝京もなんとか<span class="big">1</span>トライを上げ、19対5で折り返した。
ブレイクダウンの強さ、ディフェンスラインの強さと
速さで<span class="big">勝</span>ち上がった帝京にとって、
同じようなタイプのNECでは、底力の差が出てしまう。
ヘンドリック・ツィも<span class="big">思</span>うように動けず、
帝京外人部隊のもう一枚の看板選手、ボンドがいないため、
そのスキを<span class="big">狙</span>って、NECのフランカー、ラトゥがトライを重ね、
余裕の出た所でバックス勝負で突き放した。
どちらのチームも<span class="big">スロー</span>な展開、
無難な試合運びで、せっかく出かけたものの…
という<span class="big">ゲーム</span>であった。
帝京の岩出監督からすれば、
いつものようにやれ、という<span class="big">事</span>だったかもしれないが、
それでは、同じタイプのトップリーグの強者には歯が立つまい。
負けてもともと、何らかの<span class="big">奇襲</span>戦法も
あってよかったのではないだろうか。
学生が<span class="big">社会人</span>チームに挑戦する意味を
もっと掘り下げてみた欲しかったし、
それが見たさに足を<span class="big">運</span>んだラグビーファンも大勢いる事を考えて欲しい。
オラがチームが勝てば良しのファンの中でしか戦って来ていない
帝京のあっけなさが、<span class="big">妙</span>に目立った寒いゲームだった。
それにしても、この時期は学生にとっては分が悪い。
大学の決勝戦からこれほど<span class="big">時</span>間があくと、
肉体的にも精神的にもテンションを高めるのは難しい。
ラグビー<span class="big">協会</span>も単なる慣習を破り、
トップリーグを含め、次代のための、
大胆な日本選手権のスケジュールを<span class="big">考</span>え直してはどうだろう。

やれやれと思いながら、秩父宮から新宿まで歩き、
苺<span class="big">大福</span>を買い、口直しと思いつつ、その夜、
CATVで、シックス・ネイションズのウェールズ対スコットランド戦を
見た。
いやァ、<span class="big">凄</span>いゲームでした。
体力、いや、体格に勝るスコットランドがリードを保ち、
素晴らしいゲーム<span class="big">展開</span>で残り10分、
鮮やかなドロップゴールでウェールズを突き放す。
ウェールズも、<span class="big">攻</span>めに<span class="big">攻</span>める。
ゴール前、何度もマイ・ボールスクラムで押し込もうとする。
しかし、それも<span class="big">果</span>せず、これまでか、と思ったが、
残り<span class="big">4分</span>、中央突破を計ったウェールズの選手を、
スコットランドのSOが足をかけてしまう。
そこでPG成功。そこで<span class="big">勢</span>いに乗ったウェールズは、
疲れで足の止まったスコットランドの防御の甘さを突き、
ウィング、シェーン・ウィリアムズがタッチライン際を走り、
中央に<span class="big">廻</span>り込んでトライ。
ゲームをひっくり返してしまった。

スコットランドの速いディフェンスにゲインラインを切れず
苦しみ<span class="big">抜</span>いたウェールズ。
しかし、ノーサイドの笛が鳴るまで粘り抜いての逆転勝ち。
その上、グランドはウェールズの<span class="big">本拠地</span>カーディフである。
スタンドを埋めたウェールズカラーの赤一色は、まさに狂喜乱舞。
いやァ、<span class="big">見応</span>えがありました。
これぞ、北半球のラグビーであります。
(南半球はもっと荒っぽい気がしますね)
シックス・ネイションズの歴<span class="big">史</span>に残る好ゲームと言えるでしょう。

僕がラグビーファンなのは、
贔屓のチームが<span class="big">勝</span>てば良いとか、
判官びいきであったりというものではない。
死力を<span class="big">尽</span>くし、真のプライド
(最近、薄っぺらなプライドの持ち主の多いこの国だけどサ)
のために、<span class="big">最後</span>まで持てる力を出し切って戦う。
さまざまな知力、閃きを駆使し、ぶつかって行く。
その姿の美しさに、息を<span class="big">飲</span>ませられる事が多々あるからだ。


ナマで見た<span class="big">昼</span>の一戦。TVで見た<span class="big">夜</span>の一戦。
この差の大きさに、僕は再度ラグビーを好きになった。

もちろん、選手の<span class="big">能力</span>の差はあるが、
そこにある精神力は同じであらねばなるまい。

もし、機会があれば、このウェールズ対スコットランドの一戦を
<span class="big">観</span>ていただきたいと思う。

残った<span class="big">人生</span>をどう生きて行くのか。
この一戦を見て、僕は、改めて、自分の方向性が定まった想いがした。

あの<span class="big">逆転</span>トライをタッチダウンした時の
シェーン・ウィリアムズの少年のような
歓びの<span class="big">爆発</span>を忘れては、
男に生まれた<span class="big">甲斐</span>がないじゃありませんか。

ねェ、みなさん。


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    <title>華の会</title>
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    <published>2010-02-03T11:03:24Z</published>
    <updated>2010-02-03T11:04:36Z</updated>
    
    <summary>東京は初雪。しかも、かなりな降りっぷりでした。 例年の如く、放送記念日、2月1日...</summary>
    <author>
        <name>Taosa</name>
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    <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://taosa-world.net/">
        東京は初雪。しかも、かなりな降りっぷりでした。
例年の如く、放送記念日、2月1日開催の華の会は、
この悪天候の中、出席予定の14名、
全員顔を揃え賑やかに行われた。

        <![CDATA[<img alt="hananokai.JPG" src="http://taosa-world.net/hananokai.JPG" width="240" height="320" />
この華の会は、2003年、日本のTV放送50年を記念して、
NHKが行った<span class="big">TV50</span>年記念事業に
携わった人たちの同窓会である。
その事業の目玉であった<span class="big">放</span>送記念日特別番組の制作及び
パブリシティ活動に一丸となって取り組んだチームメンバーである。
僕以外は、<span class="big">全</span>員NHKの職員及び常駐する人たちであった。
番組制作だけであれば、
僕は<span class="big">参加</span>していなかっただろう。
ところが、パブリシティ活動、キャンペーン活動を
やるということになったのである。
<span class="big">番組</span>制作については、彼らはプロ中のプロである。
50年記念事務局長となったS磨氏も
<span class="big">N</span>スペシャルではかなりクオリティの<span class="big">高</span>い番組を
創って来た歴史がある。
(見かけはナンパだが、中味はナカナカの硬骨漢です)
このS<span class="big">磨</span>氏とは、彼の番組のポスター作り等で、
かなり長い付き合いがあった。
彼が<span class="big">衛</span>星放送の部長時代には、BS１の番組委員会にも
喚ばれ出席していた。
そのメンバーには、宇<span class="big">宙</span>飛行士の毛利さん、
日本生命館館長の中村さん、作家の佐木隆三さん、猪瀬直樹など、
S磨氏ならではの<span class="big">異才</span>の顔ぶれは、
かなり、面白い意見交換の場であった。
そんなこんなの<span class="big">付</span>き合いからS磨氏は、
TV50年事務局長としてPR、キャンペーンのディレクターに
僕を<span class="big">選</span>んだのだろう。

このTV50年記念テレビ新時代事務局は、
当時エグゼクティブ<span class="big">プ</span>ロデューサーとして、
実に優れた仕事をしていた
K<span class="big">邑</span>氏、K<span class="big">原</span>氏、O<span class="big">橋</span>氏他
編成局からもK井氏、I倉氏他、強者が集まった
リベラルかつ<span class="big">有能</span>な集団であった。
約2年ほど、このグループと付き合いながら
おぼろにわかってきたNHKの企業<span class="big">文</span>化の背骨は
公共性という事であった。
キャンペーンの<span class="big">最終</span>ゴールは、
2月1日放送記念日に、24時間ぶっ通しで放送する
テレソン<span class="big">特別</span>番組放送であった。
そのゴールに向け、TV50年の歴史の中で
NHKが<span class="big">果</span>して来た役割を
改めて認知してもらうというのが、
<span class="big">パ</span>ブリシティの<span class="big">コ</span>ンセプトとなった。
キャラクターは、かの＜ひょっこりひょうたん島＞の
主人公ドン・<span class="big">ガバチョ</span>氏のCG版に決定。
それぞれの思惑を乗り越えつつ、
NHKスタイルのキャンペーンは<span class="big">動</span>き出した。
(いやァ、一般企業とはまったく違う文化の中での仕事は、
大変ではありましたが、一方、とても面白いものでもありました)

すべてを<span class="big">受</span>け止めるキーフレーズとして、
「そこに、NHK」。先日の報道で建て替えが発表された
放送会館に＜TV５０＞のライト<span class="big">文</span>字を浮かび上がらせるため、
12月末にテストライトを実行。
大晦日に、窓に<span class="big">黒</span>いビニールを貼りまくったO橋氏、H野嬢、
さらにS磨氏と僕の4人で初台のホテルの最上階ラウンジから
その成果を<span class="big">確</span>かめ合った。言いだしっぺの僕は
感動しつつホッとした。そして、ＴＶ50のライト文字は、
このテストを経て、2月1日放送記<span class="big">念</span>日にも成功裡に
渋谷の街の話題をさらい、
朝日新聞の一面を<span class="big">飾</span>るという成果も挙げることができた。
また、テレソンは24時間番組である。ナマである。
その間、<span class="big">時報</span>は入れなければならない。
編成局長のO田氏やEDのK原氏は、5年は命を縮めたに違いない。
そして、<span class="big">司会</span>を務めたM宅アナは、
今やNHKの看板アナである。
独特のキャラクターで、<span class="big">新</span>しいNHKアナの領域を広げた人である。

そうしたメンバーが、あの日<span class="big">「</span>2月1日<span class="big">」</span>をいつまでも、
という気持で、その当日に<span class="big">集</span>まるのが華の会である。
今年で8回目。これほど続けられたのも、
ひとえに<span class="big">幹事</span>役のK井氏のおかげである。
声が大きく強引ではあるが、どこやら憎めない人柄で、
あの頃、<span class="big">事務</span>担当としては最適の人物が、
今度は最高の幹事となって、
毎年、集合<span class="big">命令</span>を出してくれる。

継続は<span class="big">力</span>ですナ。
僕も、２つほど幹事をやっているが、継続に何よりも心を砕く。
K井幹事の<span class="big">心境</span>がよくわかる。
この８年間、会が続いた間に、NHKは大きく揺れ、変化し、
皆、部署を<span class="big">移</span>ったり、会社を<span class="big">変</span>えたものもいる。
でも、集ってくる。

やっぱり、あの事業は、
<span class="big">大変</span>だったんだなァ、と、今更思う。
その大変な事を為し遂げた達成感が、
こうして、何年も集まる<span class="big">会</span>のモチベーションを
創っているのではないだろうか。
あの時は、<span class="big">皆</span>、少しカリカリしつつも、平然として
各々の持ち場でフルには働いていた。
でも、やっぱり、それぞれは<span class="big">キ</span>ツかったのだろう。
その証拠に、その頃の事を話す時、
誰もが遠い<span class="big">夢</span>を見るような眼をして語り始める。
S磨氏もK井氏も途中で一度病の床に着いた。
キャラは違っても、役職は異なれど、<span class="big">二人</span>とも
人一倍デリケートな男ならではの反応であった。

こうして、ひとつの仕事を一丸となって
達成した者たちが、年に<span class="big">一度</span>、その日に集まる会の幸せ。

まさに、それが、<span class="big">華</span>なのだろう。

M宅さんの笑顔は、いつ見ても、心を和ませてくれる。

今、流行の癒しではない<span class="big">和</span>みである。
ここに、上下ではない、横一線の安らぎがある。

日本は、NHKは、この<span class="big">横</span>一線のやすらぎを忘れてはなるまい。
逆風厳しい放送業界の中だからこそ、
この<span class="big">一点</span>を忘れないでいて欲しい。
背骨に公共性を背負う気概がある限り、
やがて、<span class="big">追</span>い<span class="big">風</span>の吹く日も来るだろう。

<span class="big">春</span>の来ない<span class="big">冬</span>はない。
元気な限り、この会が続く限り、
出席し<span class="big">続</span>けようと思いつつ店の外へ出ると、
東京は、まっ白に雪に包まれていた。

初雪を<span class="big">踏</span>む、キュッキュッという靴音を聞きながら、
改めて、<span class="big">初心</span>に戻らねば、と
僕の心は<span class="big">引</span>き<span class="big">締</span>められた。

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    <title>蕎麦打ち</title>
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    <published>2010-01-29T16:43:24Z</published>
    <updated>2010-01-29T16:57:10Z</updated>
    
    <summary>井の頭線高井戸駅から歩いて6～7分くらいだろう。 杉並区の住宅街の中、 高井戸東...</summary>
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        井の頭線高井戸駅から歩いて6～7分くらいだろう。
杉並区の住宅街の中、
高井戸東小学校と道路をへだてた住宅の2階に、この店はある。

        <![CDATA[<img alt="kyuujituya.JPG" src="http://taosa-world.net/kyuujituya.JPG" width="271" height="231" />
名は「<span class="big">休日や</span>」と言う。
土、日、祝日しかオープンしていない。
手打ち蕎麦のある<span class="big">カフェ</span>というのがウリである。
コーヒー、中国茶、抹茶、ソフトドリンク。
季<span class="big">節</span>の和、洋菓子、お茶うけ、蕎麦(もり蕎麦のみ)と
日本酒、焼酎、酒の肴が少々という手頃な店である。

この店を開いたのは、
僕の<span class="big">田舎</span>の瀬戸内海に面した城下町で、
小学校も、中高一貫のA光学園という男子校も一緒であった
M<span class="big">君</span>である。

M君は京都大学哲学科を出て、児童図書の老舗F音館書店で、
「かがくのえほん」という<span class="big">新</span>しいジャンルに大いに貢献した。
温厚かつ知的な人柄で、高校を出てからは
これといった<span class="big">付</span>き<span class="big">合</span>いもなかったが、
僕が、このA光学園の関東地区同期会幹事を
やっている事もあり、また、<span class="big">旧</span>交は復活した。
そのうち、いつ頃だったか、
僕の所に訪ねて来て
「最近の子供たちは、かつての絵本とは違う、
シャープな<span class="big">表現</span>に反応が大きい。
現役の広告表現をやっているトップクラスの人たちで、
ギャラは<span class="big">安</span>いが、
絵本を面白がってやってくれる人はいないだろうか」
と<span class="big">相談</span>された。
僕は、この人ならやってくれるのではないかという人を紹介し、
心良く<span class="big">了承</span>してもらい、
M君の願いがかなった事もあった。

そのM君から、<span class="big">昨晩秋</span>に、
自宅を改造して、小さなカフェを開いたと知らせがあった。
年が<span class="big">明</span>けて、少し落ち着いた頃、
M君に電話して、そのカフェに出かけた。
｢休日や｣は、<span class="big">自宅</span>の２階をすべて改造し、
瀟洒なつくりになっていた。

「おシャレに出来ているけど、建<span class="big">築</span>家に頼んだの」
「いや、もともと木工が趣味だったので、
工務店と相談しながら<span class="big">自分</span>でやったんだョ」
「大変だったろう」
「夏から始めてほぼ<span class="big">3</span>ヶ月かかったョ。いやァ、ホント、疲れた。
でも、もともと好きだったから、さほどでもなかったョ」
「でも、会社に<span class="big">残</span>れば、役員という事もあっただろう」
「いや、そこなんだョ。クリエイティブな事をやって来て、
いきなり経営とか人事とかという事と<span class="big">関</span>わりつつ、
残された人生を費したくなかったんだ。
君も、そうだけど、どれくらい<span class="big">続</span>けるつもりなの」
さすが、痛い所に切り込んで来る。
「いや、<span class="big">僕</span>ももう３～４年と思っているけど、
やり残している事があるんだ。40年この仕事をやって来て、
どうすれば、ちょっと<span class="big">大</span>げさだけど、
恩返しができるかと思い、考えている。
それが終れば、<span class="big">晴</span>れて自由の身を謳歌しようと思っている」
「そうだよナ。僕も同じ心境でこのカフェを始めたんだ。
想いは、もう数年<span class="big">前</span>からあったんだけどね」
「蕎麦打ちは、いつ頃から始めたの」
「いや、もともと木工が<span class="big">前</span>から趣味だったので、
20年ほど前から、木工をきちんと習いに行ったんだ。
そしたら、木工の<span class="big">同好</span>の士の中に蕎麦打ちも
趣味とする人がいて、いつも蕎麦を打って食べさせてくれる。
これが美味しいんだ。それで、僕も彼に習って始めたというワケ」
「<span class="big">縁</span>のようなものを感じるね」
「うん、僕たちの田舎ではまずうどんじゃない。
子供の<span class="big">頃</span>は、うどん屋はあっても、そば屋はなかったよね。
それで蕎麦を打ち始めてね、
納得のいくように打てた時は、実に<span class="big">快</span>感さえ覚えるんだ。
ところが、10年程前に、蕎麦打ちブームが起きた時は、
何だか流行りもののようでちょっと恥ずかしかったけどサ」
M君らしい<span class="big">言葉</span>だ。
流れに流されず、自分を貫いている人ならではだろう。
<span class="big">自慢</span>でなく<span class="big">恥</span>じる。
この感覚こそノーマルだと思うが、昨今の方々は、いかがか。
僕は<span class="big">抹</span>茶と<span class="big">和</span>菓子をいただいた。
とても、ほのぼのとした味だった。
各テーブルにはM君手製の小さな<span class="big">囲炉裏</span>が切ってあり、
炭火がほのかな暖をつくっている。

何やかんやと<span class="big">昔話</span>から、これからの話をしているうちに、
時間はあっという間に過ぎていった。

「ところで、僕の蕎麦を<span class="big">食</span>べていってよ。
白い丸抜きか黒い殻ごと挽いたものがあるけどどっちがいい」
「じゃあ、<span class="big">丸</span>抜きを」

白い陶器の器に、きれいに茹でられた蕎麦が乗っている。
蕎麦<span class="big">味噌</span>も実に美味い。玄人肌である。
「どうして陶器なの？」
(何だか不思議ですが、マッチしてます)
「う～ん、あの<span class="big">笊</span>が好きじゃないんだ」
器の底は、蕎麦がくっつかないように<span class="big">山</span>型の筋が並んでいる。

車で行ったので、残念ながらアルコールは止めにして、
蕎麦を食べた<span class="big">後</span>、彼の仕事場である
蕎麦打ちの部屋も見せてもらって、「休日や」を後にした。

「休日や」のおかげで、<span class="big">久々</span>にゆったりとした
休日を<span class="big">味</span>わえた。この時間こそ、「休日や」のなによりの
ご<span class="big">馳走</span>なのではなかろうか。

あ～ァ。
M君は、もう<span class="big">始</span>めてしまった。
僕は、どうするのか。
(おやじバンド、レンタル農園、図書館居座り…どれもなァ)

志の<span class="big">如</span>くのセカンドライフを<span class="big">創</span>れるのか。
帰路、環八を<span class="big">車</span>で走りながら、
ふと心細くなってしまった。
なんだか、いつも取り<span class="big">残</span>されている人生のような
気がするが、被害<span class="big">妄想</span>だろうか。
しかし、同級生たちは、みんな、難しい<span class="big">年齢</span>に来たもんだ。


◎「休日や」
土、日、祝日営業　am11：00～pm8：00
東京都杉並区高井戸東2-22-28
Tel. 03-3303-8501
http://www.qjitsuya.com/

お近くの方は、ぜひ一度訪ねてみてください。

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    <title>大学ラグビー決勝戦</title>
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    <published>2010-01-15T08:53:21Z</published>
    <updated>2010-01-15T08:54:24Z</updated>
    
    <summary>大学ラグビー選手権の組み合わせが決まった時、 もしかしたら、 この組み合わせにな...</summary>
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        大学ラグビー選手権の組み合わせが決まった時、
もしかしたら、
この組み合わせになるのではないか、と思っていたが、
やっぱり、という感じの東海大対帝京大の決勝戦となった。

        <![CDATA[<img alt="kwsshousen.JPG" src="http://taosa-world.net/kwsshousen.JPG" width="238" height="233" />
とっくのとうに早稲田はいないが、
それでも、準決勝、決勝と<span class="big">国立</span>競技場へと出かけた。
贔屓のチームが出ようが出まいが、
このシーズンの<span class="big">学生</span>ラグビーの総決算である。
ラグビーファンとしては、観に行くのが筋だと思ったのです。
それに、<span class="big">高校</span>ラグビーの決勝戦も、
さすがに花園までは出かけなかったが、
CATVにてじっくり<span class="big">観</span>て、感動したからでもある。
東福岡対桐蔭学園。東西対決である。
パワー＆スピードの東<span class="big">福</span>岡と
パック＆コンセントレーションの<span class="big">桐</span>蔭という感じだったが、
東福岡の底力が、桐蔭の気力を上回ったゲームであった。
高校生ながら、特に選手の<span class="big">名</span>は挙げられないほど、
両チームともラグビーセンスの高い選手が揃っていて、
30分ハーフのゲームではもったいないくらいの観ごたえがあった。

これらのそして他の高校の選手の中から、
2019年日本で<span class="big">開催</span>されるワールドカップ日本代表の
主力選手が出て来るのだろう。
先のことなどわかる<span class="big">試</span>しも無いが、ホンの少し期待したくなった。

さて、この大学ラグビー決勝戦も、
もちろん、<span class="big">2019</span>年、
日本代表チームの軸となるプレイヤーを生むに違いない。
そういう<span class="big">想</span>いで、スタンドに座った。
ところが、隣の席は、
間の悪い事に、なんと通路の<span class="big">隣</span>りが東海大の学生応援席で、
騒々しいと来たら、もう辟易でありました。

どちらが勝っても<span class="big">初</span>優勝。
東海大は、初の決勝出場であります。
加えて、<span class="big">両</span>チームとも、
フォワードの核となる選手に2名づつ外国人選手がいる。
帝京には、ロックに、ニュージーランド<span class="big">出</span>身の
ティモシー・ボンド、フランカーにヘンドリック・ツィ。
東海は、日本育ちだがニュージーランドの血を持つ
マイケル・<span class="big">リーチ</span>をフランカーに、
ジョルジュア・ランギ・マウを№８に据えている。
かつて、大東大がトンガ出身の<span class="big">留</span>学生で
選手権を勝ち進んだ時代があったことを思い出させてくれる。
東海大は<span class="big">スピード</span>のある展開。
帝京大はフォワード主体のスローで荒っぽい力づくのゲーム運び。
最初は、<span class="big">互</span>いにカタさが見られたが、
帝京大スタンド・オフ森田のトライでゲームが動き、
東海がこれまた<span class="big">主</span>将の荒木の働きでトライを返し、
五分五分の勝負となった。両チームとも、接点での激しさは、
日頃の<span class="big">鍛</span>え抜いた肉体のたまものであった。
両チームのフォワードは、学生レベルではなく、
社会人トップリーグに入っても<span class="big">充分</span>戦える力に見えた。
両チームとも、力のある外国人選手に触発されて、
十二分なフィットネスで身体を<span class="big">造</span>りあげていた。
だからこそ、ラグビーとして、大学決勝戦として、
80分間があっという<span class="big">間</span>という好ゲームになったのだろう。
レフリーの平林さんも、桜岡とは違って、
細かく<span class="big">笛</span>は吹かずゲームを動かしていたのも
こうした展開を生んだと言える。
でも、後でTVで観ると、
平林さんの立ち<span class="big">位置</span>がゲームスピードについていけず、
反則を見逃しがちだった事は残念だった。
(やっぱりビッグゲームは、外国人レフリーがいいと思いますがね)
しかし、両チームともムダな<span class="big">反</span>則は少なく、
その健闘には、ラグビーファンとして拍手を贈りたい。

両チームとも、大切なのは、これからだろう。
勝った帝京の<span class="big">岩出</span>監督のコメントにも、
キャプテンの野口選手にも、
東海大に対する<span class="big">リスペクト</span>の言葉が無かったのは、
いかがなものか。これでは、自らの不祥事で
チーム力を<span class="big">落</span>としていった大東大や選手の犯罪を
軽く見たために退任した関東学院大の春口監督の
ような事になりかねない、と思うのは<span class="big">杞憂</span>だろうか。
甲子園の<span class="big">高校野球</span>を見ても、
敗者を共に闘った者としてリスペクトする心があるからこそ、
ファンが<span class="big">増</span>えていってるのではないだろうか。
帝京キャプテンの野口選手は、
接戦を闘い<span class="big">終</span>えたばかりという事を考えると
ムリはないかもしれないが、
<span class="big">苦労</span>人の岩井監督からは、一言東海大への言葉が
欲しかったなァ。
勝ち<span class="big">慣</span>れていないから仕方がないとは思わない。
伝統校からは、そうした所を学んで欲しい。
新興校と伝統校が<span class="big">競</span>いあい
ラグビー界を盛り上げたいと言うなら、
画龍点睛を<span class="big">欠</span>いたように思う。

叱言ではない。
両チームとも<span class="big">素晴</span>らしいゲームを
闘ってくれたから言うのです。
もちろん、<span class="big">伝統</span>校や<span class="big">古豪</span>も。
この両チームからフィットネスの<span class="big">重</span>要性や
普段の生活の選手の管理など学ぶべき事は多い筈だ。
そうした切<span class="big">磋</span>琢<span class="big">磨</span>を大切にして欲しい。

話はまったく違うが、
先日の<span class="big">朝</span>日新聞に作家の<span class="big">池</span>澤夏樹が、
司馬遼太郎の事を書いていたが、
かねてから、司馬<span class="big">遼</span>太郎に不信感を抱いていた僕は、
ハタと膝を打った。
結局、<span class="big">怪</span>しい奴は怪しいのだ。
僕は、池澤本人の書くものを好きではなかったが、
この司馬遼観に<span class="big">関</span>しては、
大いに賛成である。
よくぞ<span class="big">書</span>いてくれたという感じだった。
そこへ、<span class="big">鵠沼</span>海岸のS井大先輩から電話があり、
「<span class="big">君</span>、朝日読みましたか」
「池澤夏樹でしょ」
「いやァ、なかなかなもんだね。<span class="big">切</span>り抜いてあるョ」
というお言葉。

久々に<span class="big">胸</span>のすく一文であった。

それにしても、朝日も、よく、この一文を<span class="big">載</span>せたものだ。
これまで、あれほど司馬遼太郎を持ち上げておきながら。
世の中、何が<span class="big">起</span>こるかわからない。

まさに、<span class="big">不</span>確実こそ確実な時代となった事を実感した。

さて、僕も、自身の不確実を改めて発<span class="big">掘</span>しなければならない。

大<span class="big">変</span>だなァ、ホンマ。

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    <title>暮・三本シネマ</title>
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    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://taosa-world.net/cgi-bin/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=1/entry_id=96" title="暮・三本シネマ" />
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    <published>2010-01-08T12:30:37Z</published>
    <updated>2010-01-08T12:37:38Z</updated>
    
    <summary>あまり劇場へ出かける事はないのに、 昨年12月、どういうワケか、 3本も、映画を...</summary>
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        <name>Taosa</name>
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    <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://taosa-world.net/">
        あまり劇場へ出かける事はないのに、
昨年12月、どういうワケか、
3本も、映画を観に行った。
まったく性格の違う3本だった。

        <![CDATA[<img alt="troicinema.JPG" src="http://taosa-world.net/troicinema.JPG" width="240" height="320" />
この<span class="big">違</span>いこそ、今のエンタテイメント界の混迷を
現しているように思えた。
友人のFやんに誘われ、日比谷の外国人<span class="big">特</span>派員クラブで
「牛の鈴音」を観たのが、三連発の第１弾だった。

監督はこれが<span class="big">処</span>女作だというイ・チュンニョル。
韓国では、封切り以来、その人気はうなぎのぼり、
空前の３００万人という観<span class="big">客</span>動員も、大きな話題となった。
韓国映画は、ここ数年、アクションものは
もの<span class="big">凄</span>いスピードでレベルアップしている。
が、この｢牛の鈴音｣は、
何とも<span class="big">地味</span>に思えるドキュメンタリーである。
韓国内での人気、撮影開始から３年余をかけた力作とは言え、
淡々としながら、
大きく人の<span class="big">心</span>を揺り動かす力を持つこの映画が、
これほど多くの人に支持された事に興味を持ち、出かけた。
何しろ、外国人特派員クラブの<span class="big">小</span>ホールで上映されたので、
台詞は韓国語。字幕は英語である。
語学力の<span class="big">弱</span>い僕は、
ひどく忙しい思いをしながら観ることになった。
<span class="big">農</span>業を営む年老いた男性とともに４０年も生き続けた雄牛の
言うに言われぬ交流。
それに不平不満を<span class="big">皮肉</span>たっぷりにぶつける男の妻。
そこにやって来る新しい雌牛。
いやァ、<span class="big">編集</span>も上手いのだが、これだけの素材を
辛抱強く撮り続けた監督の情熱は、
お手軽なTV番組を<span class="big">垂</span>れ流している
日本のディレクターたちには
決して真似る事はできないだろうなァ。

試<span class="big">写</span>が終わり、観客から監督へさまざまな質問がなされたが、
どれも、通り一遍のものだった。
帰りぎわに、<span class="big">僕</span>は、このキャストは、
どうやって探したのか聞いてみた。
そうすると意外な返<span class="big">答</span>が返ってきた。
始めは、自分の父親と飼っている牛とを
念頭に<span class="big">企画</span>を立てたが、企画が通った時には、
父親は牛を売ってしまい、豚を飼っていた、というのだ。
それから<span class="big">５年</span>かけて、イメージ通りの
キャスティングを見つけたそうだ。
頭が下がる。
そして、その<span class="big">執念</span>に驚かされた。

ドキュメンタリーとは言え、ドラマのようである。
ラストシーンは、<span class="big">胸</span>を<span class="big">震</span>わせる。
まっ、まずは、ぜひ観ていただきたい映画であります。

そして、次に<span class="big">観</span>たのは、｢倫敦から来た男｣である。
原作者のジョルジュ・シムノンは、
僕の<span class="big">好</span>きな作家のベスト10に入る。
生涯400作を越える作品を書いた多作家である。
「メグレ警部」シリーズはよくご<span class="big">存</span>知かもしれないが、
それ以外のものの方が面白い。
「ストリップ・ティーズ」なんかもうサイコーです。
シムノン<span class="big">原作</span>？これは観に行かねばなるまい。
何しろ、「仕立て屋の恋」の時は、原作と大きく違うストーリーに
<span class="big">巨匠</span>ルコントが変えてしまったのだから。
監督は、ハンガリーが世界に誇る
話題作連発の<span class="big">鬼才</span>タル・べーラだ。
渋谷の[シアター]イメージ・フォーラムに集まった客は20人ほどだった。
モノクロームの<span class="big">映像</span>に、
少ない台詞と音響を主体とし、重く沈み込むような音楽。
野心作と言えば、<span class="big">野心</span>作だろう。
しかし、野心がこれほど見え透いてしまっては、
鬼才の名が<span class="big">泣</span>きはしまいか。

僕が、映像の<span class="big">仕事</span>もするからか、
あざとさばかりが、目に耳につき、うんざりさせられた。
僕は、ジョルジュ・シムノンのあの独特の<span class="big">文</span>学世界を観たかった。
しかも、現代のスピード感覚で、だ。
1980年代なら好評を博したかもしれないが、あまりにテンポが遅い。
カンヌのコンペティション部門<span class="big">用</span>としか思えなかった。
<span class="big">凝</span>り<span class="big">過</span>ぎですよ。
お金を払って観る人にとって、
この<span class="big">仕</span>上げはどうでしょう。タル・べーラさん。

というワケですが、これもまたひとつの
典型という事で、ご<span class="big">覧</span>になる事をお薦めします。

で、暮の<span class="big">30</span>日。最後の一発と思って、
マイケル・ムーア監督の「キャピタリズム」を観た。
さほど大きくない劇場だが、ほぼ<span class="big">満杯</span>の観客だ。
話題づくり、話題提供、話題への乗っかり方は
世界<span class="big">№１</span>かもしれない監督だ。
マイケルは、コロンバイン高校銃乱射事件をテーマにした作品や
米国医療界、製薬界と政界の<span class="big">癒着</span>を暴いた「シッコ」、
同時多発テロとジョージ・W・ブッシュの対応の不誠実さを
描いた「華氏911」と、<span class="big">常</span>に映画ファンのみならず
毎回話題を提供している。

しかし、これって、映画かなァ。
自分が<span class="big">突撃</span>しながら、社会問題を摘発する
スクリーンで観るブログではなかろうか。
もちろん、マイケルの<span class="big">言</span>う事は良くわかる。
I　agreeです。
ま、さまざまな<span class="big">誤認</span>ともいうか、
アメリカ人ならではの僕には不思議な解釈も多々あるのですが、
こういう<span class="big">人</span>が出て来る所が
アメリカのエンタテイメント界
(こう言うと、マイケルは怒るかもナ)の<span class="big">懐</span>の深さだろう。
日本では、もっと地味になってしまうがため
(真面目すぎるのかねェ、日本人は)
いいテーマも<span class="big">社</span>会的に問題になりづらいように思う。
この映画は、観ても観なくても、
だいたい<span class="big">誰</span>もが想像するように出来上がっているので、
お好きな方は、どうぞ、という感じですかね。

韓国、ヨーロッパ、アメリカ。
それぞれに大きく映画文化の<span class="big">異</span>なる3本を観た僕は、
大晦日に、久々に、じっくりと紅白歌合戦を見た。
いやァ、<span class="big">終</span>ってますね。
だいたい、「苦しいけど頑張ろうよ」
というような歌ばかり<span class="big">並</span>べられてもサ。
しみじみと年の瀬を越えられませんョ。

心に<span class="big">沁</span>みる歌でいいんです。
頑張れョなどと歌手に言われなくても、
心を動かされるいい<span class="big">歌</span>を聞けば、
誰だって来年も頑張ろうと思うんじゃないですか。
辛いでしょ、<span class="big">苦</span>しいでしょ、でも、頑張ってね。
大きなお世話です。
視聴者は<span class="big">自</span>分で感じ、自分で考える力を持っているのですからね。

NHKさん、実態の無い<span class="big">世間</span>というものに
おもねっていませんか。
一部のプロダクションに<span class="big">頼</span>り過ぎて、
いいように利用されていませんかね。

視聴率は、<span class="big">後</span>からついて来る。
ジャーナリストとして<span class="big">自立</span>する。
それが、ホントの<span class="big">公共性</span>じゃないのかなァ。

歌合戦などというタイトルに<span class="big">固執</span>する事もありません。
優秀なトップは、朝礼暮改です。
君子こそ<span class="big">豹変</span>す、ですョ。
唯一、良心というものを<span class="big">意識</span>している局の自負に
<span class="big">期待</span>して<span class="big">止</span>みません。ハイ。

映画やTV観るのにも<span class="big">疲</span>れるなァ。

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    <title>三箇日</title>
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    <published>2010-01-06T12:08:23Z</published>
    <updated>2010-01-06T13:02:40Z</updated>
    
    <summary>ここ数年、元旦から三日間は、 毎朝、シンプルなおせちとお屠蘇がわりに 日本酒８勺...</summary>
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        <name>Taosa</name>
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    </author>
    
    <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://taosa-world.net/">
        ここ数年、元旦から三日間は、
毎朝、シンプルなおせちとお屠蘇がわりに
日本酒８勺、切り餅2ケの雑煮で過している。

        <![CDATA[<img alt="blogosechi.JPG" src="http://taosa-world.net/blogosechi.JPG" width="319" height="223" />

おせちは、３つに<span class="big">絞</span>ってある。
まずは、黒豆。
丹波の<span class="big">黒豆</span>
を家人が暮から約20時間、
砂糖<span class="big">蜜</span>
を何度も取り換えて煮た物である。
ツヤツヤとして、ふっくらとまろやか。
甘さの中にほんのりと豆の<span class="big">旨</span>
みが溶け出している。
まァ、これは欠かせません。
この黒豆は、<span class="big">暖</span>
かいとダメになるので、
何やら、さまざまなものでいっぱいに
なっている<span class="big">冷</span>
蔵庫でなく、
家の外に出して、日持ちさせる。

続いては、<span class="big">数</span>
の<span class="big">子</span>
である。
充分に塩気を抜いて、出し汁に浸しておく。
この数の子に<span class="big">築地</span>タイコウの「花くらべ」
という<span class="big">本枯節</span>を削ったものをかける。
そして、少しだけ、醤油を落としてやる。
醤油は島根県の古式<span class="big">井上</span>醤油である。
香りがあり、ピリッとしながら、
やわらかに<span class="big">日本</span>の味へと導いてくれる。

そして、紅白の<span class="big">蒲鉾</span>は、
わがふるさと愛媛県の八幡浜谷本蒲鉾店の、びり鯛である。
小振りの<span class="big">板</span>の上に、しっかりとした味わい
(関東の蒲鉾はなんであんなに甘くて大きくて、
ドデッとしているんだ。ホント、喰えたもんじゃありませんナ)で、
コシコシとした<span class="big">歯</span>ごたえ、
瀬戸内や豊後水道の小魚の味がぎっしりと詰まっている。

この3点が僕の<span class="big">おせち</span>である。
これを肴に、お<span class="big">屠蘇</span>として、
新潟の酒処、長岡の朝日山酒造の｢越淡麗｣を一合弱いただく。
朝日山は、<span class="big">戦後</span>、朝日のラベルで
新潟の酒として一世を風靡しつつ衰退していったが、
<span class="big">日本酒</span>好きならみなさんご存知の
「久保田」ブランドによって再生した。

もちろん長岡には吉の川等数々の銘酒があるが、
僕は、<span class="big">朝日山</span>です。
名前がいいじゃありませんか。
お<span class="big">正</span>月、<span class="big">朝</span>日山。これですョ。
黒牛だの白鹿だの、ましてや焼酎やワインでは<span class="big">勢</span>いが出ません。
＜朝日山＞、です。
この朝日山酒造が、数年前から、
クラシックな朝日山の<span class="big">ラベル</span>の赤を紺に変え、
クラシックモダンに手を入れたデザインのラベルの
｢特選　朝日山｣を<span class="big">4合瓶</span>で出し始めた。
これが、イケるんです。
僕の子供の頃の｢酒｣の<span class="big">記憶</span>を外さず、
洗い、磨き、練り上げて、サラリとさせた逸品です。
そして、それをさらに、品良く仕上げた｢<span class="big">越淡麗</span>｣が
今年のお屠蘇になった。
徳利はA井慎平さんからいただいた彼の<span class="big">父</span>上の作である。
新バカ大将の綽名をつけられた瀬戸のモダンな作陶家のものである。
<span class="big">盃</span>は、かつて僕が在籍していたSA社の後輩N倉君とM屋嬢が、
僕の暦還りの祝いにプレゼントしてくれた赤の入った江戸切り子です。

そして、雑煮は、切り餅を2個焼く。
僕の田舎では、丸餅だが、<span class="big">東京</span>に来てから角餅になった。
餅が焼ける間に出しをとる。
羅臼の昆布、これは大阪いや、
日本でも1、2の昆布屋<span class="big">土居</span>商店のものである。
昆布一切れが、鍋の中でのびのびとして来て、沸騰する。
そこへ、タイコウの｢だしこれ｣という<span class="big">鰹節</span>の削ったものを入れ、
火を止める。出し汁だけを濾して、少し酒を足し、
うすくち<span class="big">醤油</span>をホンのちょっとたらし、
餅、春菊、それに揚げ巻を一枚入れる。
揚げ<span class="big">巻</span>をご存知の方は少なかろう。
蒲鉾のすり身をロール巻きのように油揚げで巻いたものである。
これも八幡浜<span class="big">谷本</span>のものが良い。
なぜかと言えば、この谷本の揚げ巻には、
まん中にほんのりと<span class="big">朱</span>が入っている。
目出度いじゃないですか。ねェ。
ご<span class="big">存知</span>ない方は一度、
ネットでお取り寄せいただくとよくわかる。
これ<span class="big">2～3</span>枚切ったもので、充分、
飯も食えれば、酒も飲める。
(しかし、みな今の僕の体に良いとは言えないのが辛い)
人生、<span class="big">楽</span>しい事もあれば、<span class="big">辛</span>い事もある。
こんな風に両方いっぺんに押し寄せて来る事もある。
<span class="big">目出度</span>い、かな？

われながら、何とも<span class="big">贅</span>沢ですナ。
それから、<span class="big">箸</span>は氏神さまの天祖神社初詣の折りにいただいた
杉の割り箸である。
この箸を三日間使う。
しかし、この<span class="big">天祖神社</span>、どうも、パッとしない。
こんな事を言うと神様に怒られそうだが、
少しづつきれいになってはいるものの<span class="big">小</span>さな社なので、
どうも迫力がない。
とは言え、その<span class="big">慎</span>ましさが、氏神様的にも良いのかも知れない。
今、住んでいる家を買い、
改築した時に来てもらった若い<span class="big">神主</span>も、
今は、頭髪に白いものが目立つ年頃になった。
<span class="big">初詣</span>をし、お札を買い、福箸をいただき、
家に戻ってお札を新しいものに変え、
この正月<span class="big">料理</span>にかかるのが、
ここ数年の僕の元旦である。

丹波、八幡浜、島根、越後、羅臼、浪波、江戸、瀬戸、築地…
たったこれだけの正月料理に、日本<span class="big">全国</span>が並んでいる。
景気は悪い。景気が悪いが、この食卓には豊かさがある。
一年を始めるぞ、という<span class="big">気概</span>がある。
と、<span class="big">僕</span>は思っている。
それが、この正月三箇日の僕の食である。
長き来し方、短き行く末を想いつつ、
三箇日、毎朝、正月をこの食事で<span class="big">過</span>す。

日本人とか、行事とかというふうに、形式的にとは思っていない。
新しい年を迎えるための僕の心持ちを<span class="big">確</span>かめる食卓である。

黒豆も、数の子も、蒲鉾も、酒も、雑煮も、みな旨い。
<span class="big">文句</span>のつけようがない。

文句のつけようがないスタートを切ったのなら、
この年も<span class="big">ゴール</span>まで文句のつけようのないよう
走り切らねばなるまい。そういう意味がある。

自身が<span class="big">自身</span>に文句のつけようのない日々を、
どうやって組み立てるのか。
｢超淡麗｣の<span class="big">朧</span>な酔いの中で、ボンヤリと考える。

こうした三箇日が、後、何年<span class="big">続</span>けられるのかなァ。
それも、朧なものだ。

よく考えてみれば、今まで、ずっと
朧に<span class="big">生</span>きてきた事がわかって来る。

そんな自分にあきれながらも、あきらめない自分がいる。
<span class="big">今年</span>も、また、そんな三日間であった。

日本も、世界も<span class="big">本気</span>で市場経済至上主義から脱し、
デモクラシーの<span class="big">次代型</span>を実施し始めなければ、手遅れです。
もう、手遅れになりつつ、ですョ。
もし、次代型デモクラシーが<span class="big">完成</span>に近づいても、
まァ、その頃、僕は、もう<span class="big">向</span>う<span class="big">岸</span>にいるだろうけどネ。
ハ、ハ、ハ．
やっぱ、ちょっと<span class="big">無責任</span>かなァ。
年初から<span class="big">反省</span>であります。

]]>
    </content>
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    <title>敗れし者たち</title>
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    <published>2010-01-04T08:10:06Z</published>
    <updated>2010-01-04T08:44:20Z</updated>
    
    <summary>まずは、映画の話を書こうと思っていたが、 あまりの惨敗と情けなさに、 ラグビー大...</summary>
    <author>
        <name>Taosa</name>
        <uri>taosa-world.net</uri>
    </author>
    
    <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://taosa-world.net/">
        まずは、映画の話を書こうと思っていたが、
あまりの惨敗と情けなさに、
ラグビー大学選手権2回戦の方を先に書く事になった。
気持が抑えきれんのですヮ。

        <![CDATA[<img alt="2009rugby.JPG" src="http://taosa-world.net/2009rugby.JPG" width="246" height="184" />
12月27日日曜日、<span class="big">ラグビー</span>大学選手権2回戦
4試合のうち2試合が秩父宮球技場で行われた。
12時15分開始の第<span class="big">1</span>試合は慶応対法政である。
11時40分くらいに秩父宮に着き、
定位置のバックスタンド<span class="big">中央</span>に空いている席を探し座った。
一人で観戦するのがラクなのは、
自由席でも<span class="big">一人</span>ならなんとかいい席に座れる事が多いのだ。
ところが、隣りに、M bishi Motor　の
赤いブランケットを<span class="big">膝</span>に置いた40くらいの男がおり、
こいつがうるさい。
要は、いかに<span class="big">自</span>分がラグビーに精通しているかを
周囲にアピールするため、
どうでもいいような事をブツブツと<span class="big">喋</span>りまくる。

もちろん、ぼくも<span class="big">桜庭</span>というレフェリーの笛には、
いつも疑問を感じてはいたが、
隣りで勝手に<span class="big">注釈</span>されてもなァ。
観戦の興はそがれてしまうやんか。

まァ、それはそれとして、
慶応は、ウィング<span class="big">三木</span>の活躍で前半は
無難に法政を抑えていたが、
後半、タックルが<span class="big">甘</span>くなったせいもあり、
法政の粘りに梃摺り、やっとの事で振り切った。
後二試合、慶応の<span class="big">課</span>題は、タックルとキック処理だろう。
だけど、いいチームに成長している。

今シーズンは仕事の都合もあり、
いつもほど、<span class="big">グ</span>ランドでゲームを見る事ができなかったが、
早稲田、帝京ともにノートライながら6対3で
早稲田が<span class="big">勝</span>った試合。
前日に慶応が帝京に敗れ、転がり込んで来た
対抗戦<span class="big">優勝</span>のチャンス、早明戦は見に行く事ができた。

12月6日の早明戦は<span class="big">絶好</span>の天気のもと、
両チームともライバル同志ならではの激戦となった。
明治の監督は、かつての名ウィング<span class="big">吉田</span>義人。
案の定、スピードのある”前へ”のラグビーで、
早稲田を<span class="big">半歩</span>リードしつつロスタイムに流れ込んだが、
逆転されてしまった。
早稲田は、<span class="big">棚</span>ボタのような対抗戦優勝を手にした。
この時、僕は、今年の大学選手権は、
早稲田ではない<span class="big">予</span>感がした。
帝京戦の頃からの選手の伸びがないのだ。
勢いっぱいやってはいるが、アイデアがない。<span class="big">閃</span>きがない。

要は、早稲田が早稲田であり<span class="big">続</span>けられたスピリットがないのだ。
これは、選手の責任ではなく指導者の責任ではないでだろうか。

まァ、早稲田の<span class="big">監督</span>はやりにくい。
勝って当然。負ければボロクソである。
しかし、監督を引き<span class="big">受</span>けるという事は、
そういう状況を引き受ける事ではないのか。
残念ながら、中竹<span class="big">竜</span>二という男は、
そんなタマではなかったようだ。
「選手たちが自分で<span class="big">考</span>えるラグビーをするために、
僕は何も言わなかった」
何を言ってるんですか。
相手は２０歳そこそこの子供ですよ。
道筋とヒントくらいは必要じゃないの。
選手にいい<span class="big">顔</span>したってしょうがないョ。

戦う相手の弱点を選手とは<span class="big">違</span>う角度から探り、
そこをどう戦うかをサジェスチョンせねばなるまい。
そこの弱さが、この２７日の帝京戦に出た。
フォワードの主力、有田、バックスの要、田邉を
怪我で<span class="big">欠</span>いた以上、フォワード戦では負ける、
バックスの展開も自由がきかない。
だったら、帝京フォワードの核、<span class="big">外人</span>選手2人を
働かせない事だろう。
彼らをイラつかせ、<span class="big">徹</span>底的にストレスをかける事で、
彼らの反則しやすい性格を利用するような策はなかったのか。
まともに行ったら、そりゃあ、帝京の方が<span class="big">地</span>力はありましたよ。
もし、大西鉄之祐先生が生きておられれば、
なんらかの策に<span class="big">賭</span>けたのではなかろうか。
「ウチの力は、この程度です」
などと<span class="big">イケ</span>シャアシャアとのたまわる監督と
「これが、ウチのベストメンバーです」
といい抜けるキャプテンの<span class="big">組</span>み<span class="big">合</span>わせじゃ、
そりゃ勝てまへん。

負けてもいいよ。でもサ、納得できる負け方ってあるでしょ。
スクラムハーフの出来は<span class="big">榎</span>本より<span class="big">櫻</span>井の方が上です。
球出しの速さこそ早稲田の生命線じゃないの。
レギュラーは<span class="big">安定</span>してレギュラーで使わないと、
選手のプライドはどうなるの。
後半に、その日のキックの出来が<span class="big">悪</span>いスタンドオフの山中を交代させた。
それって何の意味があるのョ。
山中を変えて、勝てる<span class="big">何</span>かがあったのか。
だったら、いくらキックミスが多くても、
山中で<span class="big">心中</span>しろョ。なァ、中竹君。

まっ、そんな事で、ほぼ無策。
つまり戦う<span class="big">以前</span>に、怪我をしないフィットネスや
トレーニングをどれほどしていたか。
戦う準備とは、一食一食の<span class="big">飯</span>にもかかっている。
走れなくても、重いフォワードをつくるためプロップには、
死ぬほど飯を<span class="big">喰</span>わしたか。
準備とは頭でやるものよりも
<span class="big">体</span>でやるものではありませんかねェ。

試合は、前半、帝京に押されながらも<span class="big">１</span>点差で上まわり、
後半３分トライを取った時、
早稲田ファンは大<span class="big">喜</span>びしていたが、僕は不安だった。
後半２０分頃に得点を重ねられれば喜べたが、
この時点では、４分、６分で早稲田<span class="big">劣勢</span>に思えた。

帝京にしてみれば、前半、スタンドオフの徳永が
負傷<span class="big">退</span>場した事で、フォワード戦に絞ることができた。
それに引き換え早稲田には、
帝<span class="big">京</span>フォワードを後ろに走らせ戦うという
意思統一が薄かったように思う。
結局、自陣のゴール前に<span class="big">釘</span>付けになり
反則を繰り返すという自滅の30分を過し、敗れた。

あ～ァ。やんなっちゃうなァ。もう。
早稲田には<span class="big">正月</span>はないョ。
１月２日の準決勝、１月10日の決勝戦切符を手に
<span class="big">僕</span>はどうすればいいのサ。
ホント、グレちゃうぞォ～、だョ。
仕方ないから、<span class="big">明治</span>が帝京に勝って、
敵打ちをしてくれるのを祈り、
明治が負けたら、
何とか慶応に<span class="big">勝</span>ち上がってもらって帝京にリベンジして欲しい。

それだけを頼みに、正月は国立競技場に足を運ぶとしよう。
それにしても、<span class="big">足</span>どりは重いだろうな。
いや、いっそ、肩に力が入らなくて
存分に学生ラグビーを<span class="big">楽</span>しめるかも。

でも、決勝戦が、帝京対東海大になったら、
<span class="big">国立</span>競技場に何人の人が集まり、
そのうち何人がラグビーの真髄と出逢うのだろうか。
そう思うと、ホント<span class="big">憂鬱</span>な正月になりそうだ。
箱根駅伝も、さほど期待できないしなァ。

<span class="big">ノーサイド</span>の後、
背番号10スタンドオフの山中は、泣き崩れていた。
フランカーの山下は、障害のある<span class="big">友</span>人の所へ行き声をかけていた。
親子<span class="big">2代</span>早稲田のレギュラー星野は、ファンの声援を浴びていた。
そして、最後の最後まで、
グランドのゴールラインの所に<span class="big">立</span>ち尽くしていたのは、
走るプロップ、背番号3の<span class="big">滝沢</span>だった。

その背番号3を見ていると涙が込み上げてきた。
陽の落ちかかった<span class="big">秩父宮</span>の芝の緑に
滝沢の背中は<span class="big">震</span>えているようだった。
4年間の<span class="big">想</span>いが、滝沢の頭の中を走り抜けていたのだろう。
負けてこそ、グランドを去り難い滝沢の想いは、
今シーズン、唯一の、
早<span class="big">稲</span>田らしいラグビー･スピリットではなかったか。
悔やしさと腹立ちも、
僕の心は、その滝沢の姿に<span class="big">洗</span>われたように思えた。
滝沢君、そして、他の４年生諸君、どうもありがとう。

<span class="big">来年</span>こそ、ナッ！
心から、<span class="big">嬉</span>し涙を流したいョ。

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    </content>
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    <title>また、タイ。</title>
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    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://taosa-world.net/cgi-bin/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=1/entry_id=93" title="また、タイ。" />
    <id>tag:taosa-world.net,2009://1.93</id>
    
    <published>2009-12-21T11:08:54Z</published>
    <updated>2009-12-25T09:17:48Z</updated>
    
    <summary>11月後半から12月初めにかけて、 今年4度のBangkok行きとなった。 昨年...</summary>
    <author>
        <name>Taosa</name>
        <uri>taosa-world.net</uri>
    </author>
    
    <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://taosa-world.net/">
        11月後半から12月初めにかけて、
今年4度のBangkok行きとなった。
昨年から数えると、1年間に6回も行った事になる。
奇妙な縁だ。

        <![CDATA[<img alt="thaineko.JPG" src="http://taosa-world.net/thaineko.JPG" width="230" height="333" />
Bangkokの<span class="big">貧富</span>の格差は、
行く度に深く心に刻み込まれていくが、
ほとんどの人たちが、その<span class="big">格差</span>を問題と
思っていない風に感じる。
あきらめが早いのか、<span class="big">食</span>べて行ければ良いのか、
東南アジア諸国の中でも、穏やかな人柄で知られる
タイという<span class="big">国</span>の特徴なのかもしれない。
1杯100円もしない屋台のラーメンでも、
それが自分たちに与えられた人生なら、と受け入れるのだろうか。

実はこれほど、タイに足を<span class="big">運</span>びながら、
｢ムエタイ｣を見に行けなかった事が、大きな心残りとなっている。
どうやら、<span class="big">僕</span>たちをアテンドしてくれた人たちや同行した人たちに、
まったく｢ムエタイ｣に対する興味が無かった事が原因だろう。
かと言って、<span class="big">仕事</span>で行く以上、団体行動とならざるを得ず、
あの汗の滴る細い褐色のバネのような体から
操り出す<span class="big">パンチ</span>や<span class="big">キック</span>の鋭さ。
そして、闘いの前の祈りや勝利の後の感謝の行為は、
タイという国<span class="big">本来</span>の<span class="big">何</span>かを感じさせてくれるのに。

タイは国王と軍とが<span class="big">握</span>っている。
そして、ごく少数の富裕層が、ふた手に割れて権力争いをしている。
まるで<span class="big">1970</span>年代のようである。
街並は、どことなく、日本の昭和30年代のようであるし、
僕たちが接する飯屋のお<span class="big">姉</span>さんやマッサージ屋のおばちゃんたち
の素朴さは、かつて、日本にもあったようである。
不<span class="big">敬</span>罪という空恐ろしい法律のため、
この国は民主化を遅らせている。
必要な事は、<span class="big">安</span>い賃金で働き続ける寛容さや
体を<span class="big">売</span>る事でわずかな贅沢に近ずこうという努力ではない。
教育のレベルアップと搾取構造の破壊が必要かもしれない。
利用される事を<span class="big">日常</span>にする人たちを見ていると、
日本も、程度の差こそあれ、
実は<span class="big">同</span>じ事なのだろうと思うと胸が痛む。
そう言えば、<span class="big">昔</span>、僕がいたSA社の後輩(？)にあたる
A生ちゃん(もう50過ぎて、ちゃんはないかもしれないが)
が、<span class="big">チェンマイ</span>でアルマーニがお金を出している
エイズの子供たちのための施設にいるのだが、
僕たちのアテンドをしてくれたタイの<span class="big">S</span> Filmの
女社長＆コーディネーターO塚嬢が仕事で知りあったらしく、
O塚嬢を<span class="big">介</span>してコミュニケーションをとった。
直接話はしなかったが、妙に懐かしい感じがした。
A生もタイで一生<span class="big">過</span>すのだろうなァ。
しかし、エイズの施設の前に、この国にはやらなければならない事が
山ほどあるように<span class="big">思</span>うのだが。

僕たちが<span class="big">常宿</span>にしていた、スクンビット24にある
President Park Hotelの前に、仏を祀る白い祠がある。
この白い<span class="big">祠</span>は、商売をする所、
人の集まる所には必ず置かれている。
このHotelの前の祠に、何と、<span class="big">猫</span>が鎮座していた。
物憂げに首をかしげている。
Bangkokで<span class="big">見</span>る犬や猫は、どれもこれも
栄養失調のように痩せ、毛が薄い。
ところが、この写真の猫は、何やら<span class="big">裕福</span>そうで落ち着きがある。
しかも祠の前にいる姿は、<span class="big">観音</span>さまのようでさえある。
タイには、もう少しこういう人たちもいる筈だ。
そう思いつつ、Bangkokから<span class="big">車</span>で片道3時間ほど走った
田んぼの真ん中に立って椰子の木とトタン張りの小作農家を見ていると、
再び<span class="big">絶望</span>が訪れて来る。
僕は、住人でもなければ、観察者でもない。
単なる通りすがりの<span class="big">傍観者</span>である。
しかし、袖振り合うも多生の縁ではないか。ねェ。

PatpongやNanaの猥雑さ、
高級ブランドのコピーを<span class="big">違</span>法で売る店の気怠いPangちゃんの
齢は30だが、どこかあどけなくどこかあきらめたような喋り方に、
この国の為政者たちは<span class="big">希望</span>を与えられるのだろうか。
享楽のためだけに貧困を踏み台にする外国人たちを、
ビキニ姿でお立ち台で<span class="big">踊</span>るゴーゴーバーの女の娘たちは、
微笑みと投げやりで迎えつつ、
明日への<span class="big">確</span>かさを見出せないでいる。

<span class="big">微笑</span>みの国、タイ。よく言ったもんだ。
まァ、日本でも、これだけ<span class="big">年寄</span>りが長生きし、
生きている事だけが目的になるかもしれない現実を考えると、
タイの事など<span class="big">言</span>っている場合ではないかもなァ。

いったい、何歳で、僕は<span class="big">死</span>ぬのだろう。
その時になれが、それは、あっという間かもしれないが、
その時が<span class="big">来</span>るまでは、随分と長い気もする。

今度は、仕事でなくタイに<span class="big">行</span>ってみよう。

僕の<span class="big">落日</span>のヒントでも見つかるかもしれないから。


]]>
    </content>
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    <title>PATPONGのホント</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://taosa-world.net/2009/11/patpong.html" />
    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://taosa-world.net/cgi-bin/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=1/entry_id=92" title="PATPONGのホント" />
    <id>tag:taosa-world.net,2009://1.92</id>
    
    <published>2009-11-11T09:54:42Z</published>
    <updated>2009-11-11T09:55:54Z</updated>
    
    <summary>縁があるのだろうか、またBangkokへ行った。 今年3回目である。 今回はBa...</summary>
    <author>
        <name>Taosa</name>
        <uri>taosa-world.net</uri>
    </author>
    
    <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://taosa-world.net/">
        縁があるのだろうか、またBangkokへ行った。
今年3回目である。
今回はBangkokの歌舞伎町とでも言える
PATPONG通りの話である。

        <![CDATA[<img alt="patpongphoto.JPG" src="http://taosa-world.net/patpongphoto.JPG" width="386" height="266" />
先進国であろうが、途上国であろうが、
都市のダウンタウンは、昼間は一様に<span class="big">閑散</span>としている。
ここPATPONGも、ラーメン屋とマッサージ屋が
開いているくらいで、ほとんどの店は閉まって、ガランとしている。
や々広い通りには、<span class="big">痩</span>せこけて、毛の<span class="big">薄</span>い犬が、
ゴロリと横になっている。
30度を超える<span class="big">暑</span>さの中、犬も歩く気がしないのだろう。
それでも、熱心なのか、単なる習慣なのか
「ミルダケ、タダ、ミルダケ、タダ」
とソープだかカラオケだかの<span class="big">客引</span>きが
女の子の写真を貼ったボードを手に
まとわりつくように<span class="big">寄</span>って来る。

近くの土産物屋と言うか、観光客相手の
ブランド品の<span class="big">コピー</span>を売る店に立ち寄って見る。
ここには、Rolexを始めCartie、Hermesなどの時計のCopyもある。
警察の眼を<span class="big">恐</span>れてか、あるいは、演出なのかわからないが、
インカムの連絡で中からしか開けてくれない仕掛けとなっている。
奥の小部屋が、時計類や高級品の<span class="big">精巧</span>なコピー売り場である。
やる気があるのかないのかわからない
昔はきっと可愛かったろうと思われる
お姐さんが、<span class="big">気怠</span>るそうにショーケースを開け、
あいまいな笑いとともに｢3000バーツな｣と言う。

他にないのかと聞くと、下の引き出しを開け、
ぎっしり<span class="big">詰</span>まっている時計やアクセサリーを見せる。
さらに突っ込んで、聞くと、
スーツケースの鍵を開けて中を見せてくれる。
「スーパーコピーな」と、<span class="big">彼女</span>はまた気怠るい。
本物そっくりのスーパーコピーは、
6000<span class="big">バーツ</span>くらいだったか。
僕は、フランク・ミュラーの女性物のコピーを
2600バーツに<span class="big">値切</span>って買った。
お姐さんは、30歳になったばかりという。
もう<span class="big">10</span>年、この仕事をやっているそうな。
細い体の上にやつれて少し<span class="big">蒼</span>い小さなカワイイ顔が乗っている。
夜目遠目なら10歳は若く見える。童顔なのだ。
しかし、よく見ると<span class="big">目尻</span>のあたりに年齢が出ている。
どんな人生を送って来たのか、
ゆっくり聞いてみたい気もするが、どこまでがリアルで、
どこまでがコピーか、<span class="big">売</span>っているもの同様、まったく判別が着かない。

そんなこんなで夕方になる。飲食店のネオンが点く。
<span class="big">PATPONG</span>の通りには、撮影隊のイントレのようなものが、
もの凄いスピードで3例組み立てられていく。
これが全部、<span class="big">屋台</span>になるのだ。
Tシャツ、安物のブランドコピー、まァ、よくあるなというくらい
出て来る。
屋台の陰でラーメンを<span class="big">喰</span>いながら、何やら喋っているが、
さっぱりわからない。
「ワタシ、ニホンゴ、ワカラナイナー」である。

やがて、ライブ(と言っても素人同然のロックバンド)が、カフェで始る。
通りとの間にある<span class="big">狭</span>いスペースの椅子に腰をおろし、
シン・ハー・ビアを頼む。
隣りの席には、ドイツ人とおぼしき<span class="big">熟</span>年夫婦が座る。
彼らは、ハイネケンである。
そこへ黒に「<span class="big">糞</span>」と白抜きで、日本語の入った
Tシャツの袖から入れ墨を見せた
その<span class="big">筋</span>っぽいお兄さんがライターを売りに来る。
いわゆる100円ライターなのだが、ライトが点くとそこに、
ヌードや男女の<span class="big">カラミ</span>が浮かび上がるというシロモノ。
１コ100バーツだと言う。
ドイツ人夫婦は、あれこれ品定めをしてひとつ買った。
ドイツ人の老婆は、<span class="big">下卑</span>た笑いを唇の端に浮かべ、ハイネケンを飲む。
黒Tシャツの男の腕の入れ墨は何の事はない
入れ<span class="big">墨T</span>シャツであります。
まさにPATPONGの面目躍如ですナ。

いい加減、下手なバンドに<span class="big">飽き</span>た頃に、
ゴーゴーバーが開く。
店の中央のお立ち台の上で、
ビキニ姿の、女やら<span class="big">オカマ</span>やらわからない23、4歳の連中が、
客に媚を売りながら、やる気なく、腰をゆすっている。
そこでもまた、シン・ハー・ビアをオーダーし、
ボトルから直接<span class="big">飲</span>みながら、
女かおカマか、どの程度の改造度か品定めしながら、
お立ち台の連中を見ている。
彼女(彼)たちは、1ステージ<span class="big">終</span>ると、
別のグループと入れ変わり客席に降りて来る。
ステージの上から<span class="big">目星</span>をつけた客の所に近寄り
｢コラー｣とCokeをせがむ。
80バーツのコーラを飲ませつつ、女か男か、体を<span class="big">触</span>ってみる。
もちろん、何気なくである。
気に入れば、店にいくばくか金を<span class="big">払</span>って
ホテルへ持って帰れる。ショートで2000バーツくらいだろう。
こっちに、その気はない。<span class="big">店</span>を仕切っているらしい、
中年の美人系おカマが通りすがりに太股を撫でて、
｢シャチョーサン、ワカイナー｣
と<span class="big">抱</span>きついてくる。冗談じゃないよナ、まったくである。

まァ、PATPONGだけではない。
NANA(まァ、Bangkokの渋谷かな)の通りも似たようなものである。
ちなみに上の写真は、<span class="big">NANA</span>の通りの路地を入った
2階建てのバラックに、ゴーゴーバーが
ぎっしり<span class="big">詰</span>まっているエリアである。
女子高生スタイルの店もある一角である。

ここには、嘘も実も無い。嘘も実であり、実も嘘である。
乳房だろうが、<span class="big">膣</span>だろうが、入れ墨だろうが、
ブランドだろうが、すべてが嘘実の間にある。
その<span class="big">沼</span>のような状況を作りだしているのは
怠惰と貧困である。
それは、男は安い労働力と、女は体を売るしか売るものがないくらい
<span class="big">搾取</span>されてしまった側の小さなシッペ返しなのかもしれない。
ホモセクシャルでいたいのか。女になりたいのか。
若い女は、体を売ればいいのであれば、
若い<span class="big">男</span>はおカマとなって体を売るしかないのかもしれない。
しかしBangkokでは、おカマは通常の事である。
<span class="big">隠</span>しはしない。
男である事も、女である事も、おカマである事も、
すべて<span class="big">ホント</span>なのである。
そのホントを売る街PATPONGやNANAに、
西欧の白人も、インド人も、東洋人も、
欲望を<span class="big">吐</span>き<span class="big">捨</span>てにやってくる。
自分たちが売りつけた欲望に溺れかけた街に、
<span class="big">羞恥心</span>を捨ててやってくる。
この街に充満するPowerは、<span class="big">欲</span>望と<span class="big">渇</span>望のPowerである。

しかし、そんなPowerの中にいて、
僕は物<span class="big">憂</span>い。
ブランドコピーを売るあの蒼ざめた口数の少ない
お<span class="big">姐</span>さんの倦怠の<span class="big">微笑</span>こそ
僕のこの気分を<span class="big">癒</span>してくれる唯一のものかもしれない。
タイ古式マッサージも、束の間の放出も、
僕を癒してはくれない。
何が、「癒しの国、タイ」だ。

東南アジアの片隅では、
さまざまな国で同じような<span class="big">夜</span>が訪れているのだろう。
ホー・チ・ミンでも、マニラでも、上海でも、
同じ様な夜が何十年も<span class="big">流</span>れている。
メコン河のようにゆっくりと泥を含んで流れている。
改めて、人間の欲望というものの持つ<span class="big">恐怖</span>に
眼をつむりたくなってしまう。

この街はいつもスモッグに<span class="big">覆</span>われているが、
そのせいだけではなく、
僕は、いつも、気力を<span class="big">抜</span>かれたまま、
エアコンの効き過ぎたベッドで目を覚ます。

なんと<span class="big">不幸</span>な朝だろう。
なんと、不幸な一日の<span class="big">始</span>まりだろう。
心からこの国の民主化と教育の充実を祈りたくなる。

決して、善人とは言えない<span class="big">僕</span>でさえ、である。

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    <title>立川志の輔</title>
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    <published>2009-08-31T02:49:42Z</published>
    <updated>2009-08-31T02:50:54Z</updated>
    
    <summary>ホントに久し振りに、落語を聞きに行った。 下北沢の本多劇場、8月21日の夜である...</summary>
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    </author>
    
    <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://taosa-world.net/">
        ホントに久し振りに、落語を聞きに行った。
下北沢の本多劇場、8月21日の夜である。
古くからの知り合いである志の輔は、
        <![CDATA[<img alt="shinosukebotan.JPG" src="http://taosa-world.net/shinosukebotan.JPG" width="209" height="288" />
いまや、人気のピークにいる<span class="big">噺</span>家の一人だろう。
演し物は、中国明の時代の小説をベースに、
明治時代前半に三遊亭を再興した三遊亭<span class="big">円朝</span>が
落語のネタに創り直した｢怪談牡丹燈籠｣である。
ここ数年、この<span class="big">本多劇場</span>で毎年、
同じ演目を続けているという。
まァ、この｢<span class="big">牡丹燈籠</span>｣、円朝が全部演るのに、
20日かかったという大作である。
もちろん、3時間やそこらで演れるものではない。

昔から、落語の噺が、はたして今の若い人に
通じるかと<span class="big">苦</span>しんでいた志の輔らしい構成になっていた。
言わば、落語をまん中に置いた落語ショーである。
ＮＨＫの｢ためしてガッテン｣の<span class="big">司会</span>をしつつ
考えついたのであろう。
長い噺をボードで説明し、噺家らしい｢牡丹燈籠｣の抜粋があり、
また、最後にトークショー風の<span class="big">解説</span>がつく、
といういたれりつくせり。
落語ご<span class="big">新規</span>の方には、とても良くできている。
師匠の談志も、｢まァ、どうせ、わかんねェだろうけど…｣と悪態を
つきながら、なんとか、噺の<span class="big">ヘソ</span>をわからせようとやっていたが、
カタチは違えど、弟子の志の輔も同じ様な事をやっている。
落語自体が、普通のエンテイメントとはかけ<span class="big">離</span>れているのだから、
そう無理せんでもええのちゃうか、という思いもありつつ、
噺の間が凄く<span class="big">良</span>くなった志の輔を堪能させてもらった。

なんでまた、志の輔だったかと言えば、
うちの同居人に、志の輔のカミさんから<span class="big">電話</span>があり、
下北沢なので、見に来ないか、という事だった。
で、同居人は何やら<span class="big">忙</span>しいと言うので、
そうそう、久し振りやんかというノリででかけたのである。

志の輔のカミさんは、ここでは本名は伏すが、
言わば<span class="big">糟糠</span>の妻である。
志の輔は、（当時、<span class="big">竹内</span>と本名を呼んでおりましたが、）
芝居をし、夜は串揚げ屋でバイトをし、と大変な苦労をしていたが、
その竹内を<span class="big">高校</span>時代から支えて来た女性である。
賢くて、辛抱強くて、笑顔がとても可愛いかった。
<span class="big">元気</span>の故か、ちょっとお肌が、という所に目をつけて、
僕がカレーパンと名付けた。親しみやすく、とても安心な人であった。
このブログの〈新宿ぶんぶん〉の所でも<span class="big">書</span>いたが、
竹内は、われらが野球チームのエースであった。
新宿ぶんぶんの柱、Ｂ家とは、富山県新湊高校の<span class="big">先</span>輩<span class="big">後</span>輩。
Ｂ家は日大芸術学部の落研、竹内は明治大学の落研。
Ｂ家さんＢ家さんと<span class="big">慕</span>っていた。
で、
｢竹内、お前、それじゃあ、カレーパンが大変だ。な、どっか就職しろよ｣
とおせっかいな<span class="big">年長者</span>たちの声に、
早く亡くなってしまった、<span class="big">ＣＭ</span>ディレクターの岩ちゃんが
日東コマーシャルというＣＭ制作会社に入れた。
(志の輔の経歴に広告代理店とあるのは間違いである)
しかし、それから<span class="big">１</span>年、
｢すいません、僕はどうしてもカメラの後ろではなく、
<span class="big">前</span>に立ちたいんです｣と言って、その会社を辞め、
明大落研の先輩、三宅祐司や渡辺正行に相談した。
｢志ん生師匠は難しいが、<span class="big">談志</span>師匠なら大丈夫かも｣という事で、
女房のカレーパンともども談志の家へお願いにあがった。
｢もう、カミさんもいるのに、<span class="big">内</span>弟子か。大丈夫か｣
という事で、内弟子となる。
運転手だ、なんだ、内弟子<span class="big">修行</span>を続け、
国会議員となった談志のお供をし、全国も廻った。
そして、下北沢の本多劇場で、<span class="big">実験</span>落語ショーを始める。
ゴールデン街の仲間や新宿ぶんぶん野球部の連中の、
大勢が応援した。<span class="big">地道</span>な活動は頭が下がるものがあった。
やがて、二つ目という時、日本橋三越劇場でお披露目となった。
<span class="big">放</span>っておくわけにもいくまい。
作詞家のＡ木と二人で、着物と羽織を作った。
呉服屋の名門<span class="big">銀座</span>のきし屋である。
楽屋で、うつみみどりさんが、｢あら、この子、きし屋の着物なの！｣
と<span class="big">驚</span>いていたそうだ。
二つ目の噺も終わり、披露パーティの時、
談志師匠と毒腹三太夫の二人が、Ａ木と僕の所へきて、深々と頭を下げた。
｢ふつつかな<span class="big">弟子</span>ですが、どうぞ今後ともよろしくお願いします。
本日は、どうもありがとうございました｣
確かそんなような事を言われ、いやァ、
キチンとした人だなァ、と<span class="big">改</span>めて感心した事を思い出す。

そして、志の輔は、今や立派な１枚看板となった。
ところが<span class="big">好</span>事<span class="big">魔</span>多し、カレーパンは大病を患う。
今も、一人で歩くのも難しい。懸命なリハビリを続けている。
けなげな人である。そうなりながらも、竹内の<span class="big">妻</span>であり、
志の輔のファンである。

そのカレーパンと<span class="big">並</span>んで、｢牡丹燈籠｣を見た。
カレーパンは、じっと舞台に見入っていた。
自分の人生を賭けた<span class="big">男</span>の話をじっと聞いていた。
志の輔の噺ではなく、カレーパンのその姿に思わず目頭が熱くなった。
志の輔は、カレーパンの事をどう、<span class="big">思</span>っているのだろう。
大成した噺家とその妻というよりも、
まだ竹内だった頃の志の輔とカレーパンのはじけるような<span class="big">笑</span>顔が甦り、
生きていく事の難しさをしみじみと思った。
小屋がはねた後、新宿ぶんぶんの<span class="big">元</span>野球仲間たちと、
本多劇場の前で、カレーパンも一緒に食事をした。
時間が<span class="big">逆</span>もどりしたようでいて、
やはり、確実に時間は過ぎている事はあきらかだった。

それでも<span class="big">楽</span>しい食事だった。

志の輔とカレーパン。
二人とも、それぞれに、中味は<span class="big">違</span>いながらも懸命に生きている。
その夜は、落語以上の落語に<span class="big">浸</span>らせてもらった。
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    <title>三尺玉</title>
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    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://taosa-world.net/cgi-bin/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=1/entry_id=90" title="三尺玉" />
    <id>tag:taosa-world.net,2009://1.90</id>
    
    <published>2009-08-11T10:35:14Z</published>
    <updated>2009-08-11T10:36:08Z</updated>
    
    <summary>いやあ、まいりました。 日本一の花火大会という事で誘われ、 長岡へ出かけました。...</summary>
    <author>
        <name>Taosa</name>
        <uri>taosa-world.net</uri>
    </author>
    
    <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://taosa-world.net/">
        いやあ、まいりました。
日本一の花火大会という事で誘われ、
長岡へ出かけました。

        <![CDATA[<img alt="nagaoka.JPG" src="http://taosa-world.net/nagaoka.JPG" width="225" height="294" />

延々2時間、これは、もう言葉で伝える事は不可能です。
たかが<span class="big">花火</span>と言うなかれです。
5号、７号、10号とどんどん大玉が打ち上げられる。
<span class="big">大玉</span>と言われる一尺玉どころではない。
三尺玉が上るのである。
これでもか、これでもかと、<span class="big">次</span>々と大玉が上る。
パァーッと開いて空を黄金色に染め、
その大輪がふわっと<span class="big">闇</span>に落ちかかると思うと
次の大輪が咲く。
咲いたと思ったら、また、次の<span class="big">大輪</span>が開く。
まるで、僕の方にふりかかるかの如く、次々と開く。
<span class="big">右</span>に<span class="big">左</span>に、<span class="big">上</span>に<span class="big">下</span>に、
これでもかこれでもかと降り注ぐ。
かと思うと、<span class="big">色</span>とりどりの可愛い花火が咲き乱れ、
おや、これはこれで美しやと思う間もなく、
また、ヒュルヒュルと大玉が<span class="big">上空</span>目指して昇っていく。
それも、2発、3発、4発、5発。
再び、<span class="big">黄金</span>の大輪<span class="big">攻撃</span>が始まる。
何かの怨みを晴らそうとでもいうかのようである。
色と音が、観客に思わず<span class="big">声</span>を上げさせる。
ロサンゼルス五輪の時には、長岡の花火職人が総出で渡米し、
競い合ったくらい<span class="big">長岡</span>の花火師は優秀である。
知り尽くした女のエクスタシーとはかくやと思う如くに。
次から次へと<span class="big">大波</span>ばかりが押し寄せる。
何しろ、一日に一億数千万円分の花火が打ち上げられるのだから。
尋常ではない。

ひとしきり咲き乱れると、煙の流れるのを待つ。
<span class="big">月</span>も<span class="big">星</span>も出ている事に気づかせられる。
今回セッティングしてくれたN岡造形大学の教授である
アート・ディレクターのF田君と、同じく同<span class="big">大学</span>教授で漫画家の
H子夫妻と4人で並んで、信濃川の河原の指定席に座ったのは、
夕方6時半<span class="big">過</span>ぎだったろうか。
信濃川の向う岸は、まだ落日の名残りが残り、茜色に染まり、
やがて<span class="big">紫</span>色から濃い<span class="big">青</span>へと
グラデーションへと移り変わる空が美しい。

日本全国から集まった観客は、約40万人。
誰もが夏の夜の<span class="big">夢</span>を見ようと川べりにぎっしりと並んでいる。

長岡の花火は、昭和20年8月1日の大空襲から2年、
平和と戦没者への祈り、長岡復興を起して、昭和<span class="big">22</span>>年から
8月3日、4日と2日間で続けられて来た。
<span class="big">列島改造</span>計画をぶち上げ、
今太閤と呼ばれた田中角栄元総理大臣のお膝元である。
冬は、降雪に耐え、ひたすら<span class="big">稲作</span>に勢を出して来たこの地は、
また、北前船によって、古くから京都との交流を持ち、
その日本的<span class="big">文化</span>度の高さは、目を見張るものを残している。

和紙があり、織物があり、菓子があり…
川端康成の雪国に出て来る<span class="big">芸者</span>駒子は、
どう考えても長岡芸者だろうと思われる。
この盆地の恵みを支える<span class="big">信濃川</span>の川面が
キラキラと夕焼け色に<span class="big">輝</span>きながら、大量の水を運んでいる。
風に揺れる<span class="big">青々</span>とした稲が夜の闇に溶けていく。

日本の<span class="big">原風景</span>の如き、長岡の夏の夕べ。
この地は、また、数々のモノづくりに支えられて来た。
<span class="big">三条</span>の方へ行くと、幾多の製作所がある。
どこもいわゆる中小企業である。
その中に、<span class="big">遠藤</span>製作所という
ゴルフクラブのアイアンを造っている会社がある。
いわゆる<span class="big">軟鉄</span>鍛造と言って、まっ赤に焼けた鉄を叩き、
型にあわせて削っていく。
その<span class="big">技術</span>は世界に知られ、
軟鉄鍛造アイアンの型は、昔からここを訪ねれば必ず見つかると
言われるほどである。
<span class="big">北前船</span>の頃からの技術の集積がこうしたカタチで
残っているのだろう。

そして、ここ長岡は、<span class="big">山本五十六</span>海軍大将の
出身地でもある。
丁度、花火の時に商工会議所の展示室で山本五十六展をやっていた。
日米開戦に反対しつつも、<span class="big">真珠湾</span>攻撃の作戦を立てたのも
山本五十六であった。
<span class="big">展示</span>の中に、山本五十六の手紙や修身訓の直筆、勲章もあった。

当時の勲章やリボンのデザインは実に美しい。モダンである。

こうした日本の<span class="big">美意識</span>はいったいどこに
埋もれてしまったのだろう。
日本のデザイナー諸君、海の向うやあちらから来たマガジンばかり
眺めていないで、足元にあるものの<span class="big">発掘</span>をもっと始めては…
と思わせられた。

24万人の人口の市に、<span class="big">40</span>万人が押し寄せる訳は、
花火を見てよ～くわかりました。
<span class="big">ナルホド</span>でした。
そして、この花火は、冬の間、雪の中、
耐えに耐えた者たちの心の<span class="big">憂</span>さの<span class="big">晴</span>らし所である事も、
よ～くわかりました。

かつて、田中角栄が若き日に、
長時間、列車で山の中を抜け、東京に着いた時の<span class="big">高揚</span>は、
瀬戸内の温暖な地に生まれ育った<span class="big">僕</span>が
太平洋を見ながら<span class="big">東京</span>へ着いたのとは、
そもそもが大違いである事もよ～くわかりました。

良いにせよ悪いにせよ、
戦後日本の数々の<span class="big">総理大臣</span>が残したキャッチフレーズで、
人々の心を捉えたのは、
池田勇人の「所得<span class="big">倍</span>増」と田中角栄の「列島<span class="big">改造</span>」の
２つしかない。

しかし、この2つとも、世界の人々へと結びつく事はできなかった。
この<span class="big">島</span>国の国民は、今、何を指針に生きていこうとしているのだろう。
本物のガバナンスを持たない<span class="big">政</span>治屋たちの
どこか卑屈で無神経な顔つきを見ると、
長岡の花火と一緒に、今度の<span class="big">衆院選</span>でパァーッと夏の夜空に
消えてもらいたいものだ。

それにしても、長岡の花火、<span class="big">生涯</span>に一度は
体験の<span class="big">価値</span>ありでした。

至福を超えたこの花火とその音は、
しばらく、僕の眼と耳の奥に<span class="big">沈</span>んで消えそうにない。


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    </content>
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    <title>The Open</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://taosa-world.net/2009/08/the_open.html" />
    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://taosa-world.net/cgi-bin/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=1/entry_id=89" title="The Open" />
    <id>tag:taosa-world.net,2009://1.89</id>
    
    <published>2009-08-07T06:10:55Z</published>
    <updated>2009-08-07T06:12:31Z</updated>
    
    <summary>今年138回目を迎えた全英オープンゴルフ、 The Openは、ゴルフ好きなら、...</summary>
    <author>
        <name>Taosa</name>
        <uri>taosa-world.net</uri>
    </author>
    
    <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://taosa-world.net/">
        今年138回目を迎えた全英オープンゴルフ、
The Openは、ゴルフ好きなら、
何をいまさらではあるだろうが、

        <![CDATA[<img alt="tom.JPG" src="http://taosa-world.net/tom.JPG" width="271" height="185" />

いやはや、<span class="big">劇</span>的でありました。
開催コースとなったターンベリーでは、
1977年から数えて<span class="big">4</span>回目のThe Open。
ターンベリーはスコットランド西海岸に面した
典型的なリンクスコース（まっ、<span class="big">海</span>沿いの原っぱということです）
で、白い灯台、
丘の上のクラシックなホテルが、
世界中のゴルファーを<span class="big">魅了</span>する、世界の名コースであります。
開場は1906年。103年もの間、<span class="big">潮風</span>が鍛えてきた、
実に素晴らしく思える(何しろ私、このコースに行った事がありません)
のです。

ゴルフにあまり<span class="big">興味</span>のない方もご存知の
世界のエース、タイガー･ウッズと、日本の男子ゴルフ界を引っ張っている
若干17歳の石川<span class="big">遼</span>、イギリスのスター選手リー・ウエストウッドの3人が
同じ組で予選をまわるという、イキというか、受け狙いというか、
なにやら不思議な、<span class="big">波乱</span>を予感させる大会でありました。
タイガー・ウッズも遼君も予選落ち。
名だたるアメリカを始めとするプロゴルフツアーの選手たちも
決勝に進めず<span class="big">涙</span>を呑んでおりました。

若手といっても、脂の乗った選手たちが
順位を<span class="big">上</span>げ<span class="big">下</span>げしつつしているうちに、
有力選手の1人、アメリカのスチュワート・シンクが、
最終日18番の<span class="big">バーディ</span>パットを決め、2アンダーで
トップとなり、
終始このトーナメントをリードして来た、
59歳11ヶ月(還暦になろうという)のトム・<span class="big">ワトソン</span>を
待っていた。
トム・ワトソンは、1977年、このターン・ベリーで、
ジャック・ニクラウスと、今も<span class="big">真昼</span>の決闘(やっぱ、アメリカっぽ
過ぎるなァ、この言葉)と語り継がれる名勝負の勝者となっている。
新帝王と呼ばれたトム・ワトソンの唯一の<span class="big">弱</span>点は、
この頃からショートパットを苦手とした所にありました。

僕の手元に、かつて、トム・ワトソンが使用した
Ping社の<span class="big">Pal</span>というパターがある。
これは、当時のトム・ワトソンがストックとして
持っていたものを
アメリカのゴルフ関係者を通して<span class="big">手</span>に入れたものだが、
パターヘッドが、1.5～2度ほど開いている。
つまり、<span class="big">地面</span>により、まっすぐヘッドが立つので、
ラインにストレートに打つには、
この方がいいのかも<span class="big">知</span>れない。

まっ そんな事はさておき、
トム・ワトソン、最終日、<span class="big">最終</span>ホールのグリーンで、
この下から1.5メートルほどのパットを外してしまった。
32年振りのターンベリーThe Open<span class="big">優勝</span>という時に、
彼の弱点が顔を出してしまった。このパットが入らず、
2アンダーパーでスチュワート･シンクと<span class="big">並</span>んでしまったのです。

なんたる事。人間なんて、<span class="big">脆い</span>ものですねェ。
それまでそりゃあ、ミスもありましたが、ほぼ完璧と思えるゴルフを
展開していたワトソンが、歴戦の<span class="big">勇士</span>が、この土壇場でねェ。
一度は手の内に手に入れた世界のゴルファーを感動させる
優勝のストーリーを、スルリと<span class="big">逃</span>してしまった。
勝負とは過酷なものです。
勝負師とは、<span class="big">大変</span>な商売であります。
いやはや、グローバルに、おじさんたちの嘆息が
<span class="big">聞</span>こえてくるようでした。
そして、5番6番、17番18番の4ホールによるプレーオフへ。	
プレーオフの始まる前、
ワトソンの奥さん、金髪にサングラス。
昔はさぞやという<span class="big">美貌</span>に、刻み込まれた皺の深さがアップで映る。
一方ワトソンは、夕焼けに染まる大西洋をバックに、どこか寂しげな顔。
いやァ、こんな顔つきの<span class="big">夫婦</span>の心境はいかがだったのでしょう。
日本の数々の名選手も、この二人の人生の奥行きは
<span class="big">感</span>じさせられないでしょう。

久々に、朝方まで<span class="big">TV</span>観戦した僕は、
この二人の表情を見る事が出来ただけで充分でした。
力がありながら、一度も4大<span class="big">メジャー</span>大会
(全英、全米オープン、全米プロ、マスターズ)に
勝てていなかったスチュワート･シンクの<span class="big">喜</span>びよりも、
ワトソンの哀しみに世界が打たれたのは間違いない事実でしょう。
素晴らしい<span class="big">The Open</span>でした。

いろいろな国でのナショナルオープンゴルフがあるけれど、
The Openと呼べるのは、全<span class="big">英</span>オープンのみ。
ゴルフ発祥の地と世界最古の歴史あるナショナルオープンの
プライドやリスペクトがそう<span class="big">呼</span>ばせるのです。

プレーオフで勝ったスチュワート･シンクも涙・涙でした。

でもね、59歳と36歳だョ。
いくら嬉しくても、シンクも勝った<span class="big">後</span>に、
ワトソンの手を握り、上へ挙げるくらいの度量が欲しかったね。
何もかもが、<span class="big">商</span>業主義と<span class="big">権</span>利への欲望に、
狂い始めたこの社会で、
ゴルフが<span class="big">スポーツ</span>だというなら、
シンクのワトソンへの敬意はもっと深くなければ、
ゴルフそのものが持つ人間との<span class="big">関</span>わり合いが薄くならないだろうか。
ワトソンびいき、オジさんびいきでなく、
もし語り継がれる事があるとしたら
そうした、<span class="big">敬意</span>を込めた行為があるかどうかなのではないでしょうか。

ゴルフは、スコアでも、勝ち負けでも、
こうるさい<span class="big">小姑</span>のようなマナー論でもない。
ゴルファーの人格を表わしているのだから。

ワトソンに感動しつつ、
<span class="big">年齢</span>というものの中味を
改めて考えさせられてしまった一晩であった。

プレーオフの後、トム・ワトソンは
奥さんをなぐさめるかのようにその<span class="big">肩</span>を抱いて丘を昇っていった。

｢トム！<span class="big">惜</span>しかったなァ｣
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    <title>やっぱり、ELVIS</title>
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    <published>2009-07-15T09:38:23Z</published>
    <updated>2009-07-15T09:39:46Z</updated>
    
    <summary>最近、長年の足である、オンボロ ランチャに、ナビを入れた。 そのナビにHDDがつ...</summary>
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        最近、長年の足である、オンボロ ランチャに、ナビを入れた。
そのナビにHDDがついていたので、
あれこれ、CDを録音してみた。
        <![CDATA[<img alt="elviselvis.JPG" src="http://taosa-world.net/elviselvis.JPG" width="238" height="233" />
そもそも、<span class="big">ランチャ</span>インテグラーレには
ナビを入れるスペースが無いのだが、
One DIN　のサイズは開いている。
まァ、ふた昔前の<span class="big">カーラジオ</span>のスペースです。
ところが、そのサイズのナビが秋葉原にあったんですナ。
(まっ僕が知らなかっただけなんでしょうが)
事務所の<span class="big">PC</span>のパーツを買いに出かけたところ
駅前のバッタshopにあったのです。
薄いモニターの部分が<span class="big">スルリ</span>と出て来て立ち上がるのです。
しかも、HDD付きであります。
ところが、その<span class="big">モニター</span>部分は、なんとエアコンの
吹き出し口の前にたちはだかるのです。
そのおかげで、ただでさえ<span class="big">効</span>きの<span class="big">悪</span>いエアコンは、
さっぱりアキマヘンという事で、モニターを
仕舞い込んで<span class="big">音楽</span>だけ聞いておる、というありさまですワ。
しかし、このHDDに好きな音楽を入れられるというのは、
(世の中、ススんでおるものです)
想像以上に、ナビ<span class="big">以上</span>にはるかに便利でありました。

で、そのHDDに、上の写真にある
<span class="big">Million Dollar Quartet </span>のCDを入れたのです。

そうすると、こればっかり聴く事になってしまった。
要するに、<span class="big">ハマ</span>っているのです。
いやはやロックンロールは、ELVISですよ。やっぱり。
てな事を<span class="big">呟</span>きながら、シフトレバーを動かしているうちに
僕の心のアナログは過激に進行していくのです。
このCDは、<span class="big">ELVIS </span>が、レコーディングキャリアの
スタートとなった、生まれ故郷のメンフィスにある、
<span class="big">サン・レコード</span>を訪れた事から始まっている。
ライナーノーツによれば、1956年12月の事だそうであります。
既に<span class="big">RCA</span>の看板スターとなったELVISが、
歌手になる時の大恩人サン・レコードのオーナー サム・フィリップスに、
当時付き合っていたガールフレンドと逢いに行った。
丁度その時、
サン所属時代の<span class="big">仲間</span>カール・パーキンスがレコーディング中であり、
新人のジェリー・リー・ルイスがピアノを弾いていたのです。
｢じゃあ、ちょっと、<span class="big">奏</span>ろうョ｣といった感じで、始まったセッションに、
たまたまだか、なんだか来ていたジョニー・キャッシュも参加する。
そりゃあ、もう、<span class="big">大騒</span>ぎでしょう。
サム・フィリップスは、これを録音していたのである。

1950年代半ばの<span class="big">南部</span>の音楽好きの青年たちの
楽し気なシーンが目に浮かんでくる。
<span class="big">メキシコ</span>歌謡の｢ソラメンテ・ウナ・ベス｣や
古いゴスペルソング、カントリー、R&Bを次々と
もちろんELVISのレパートリー｢<span class="big">Don’t Be Cruel</span>など気ままに、
何度も歌っている。
一曲キチンと終る事もなく、<span class="big">思</span>いつくままに、目まぐるしく
曲は移り変わり、まさしく心のセッションとなっている。

一方でこの国は当時、<span class="big">アカ</span>狩りと言われたマッカーシー旋風が吹き荒れ、
朝鮮戦争からベトナム介入へと
アメリカが最も<span class="big">危険</span>な吊り橋を渡り始めた頃であった。
ケネディ大統領のもと、冷戦と熱戦は、
アメリカ的民主主義の<span class="big">是非</span>を問い続けながら、
経済上昇の気運の中、実に複雑な政治状況をつくり出していた。
そして、<span class="big">日本</span>は、そのアメリカの豊かさの傘の下、
60年代安保へと歩き始めていたのだが…

そうした時代背景を十分に認識しつつも、
僕がこの<span class="big">CD</span>にハマってしまったのは、
ミュージシャンたちが無邪気に音楽を愛し、
楽しむ気分に<span class="big">充</span>ちているからだ。
アメリカ的豊かさの危うさとはうらはらに、
ミュージシャンたちの繰り広げる<span class="big">自由</span>さは、別天地のように感じる。
そこが、また、実にウラヤマしい。
僕がこんな風に<span class="big">楽</span>し気だったのは、きっと中学生ぐらいまでだったろう。
いつもの仲間たちと学校のグランドで、
陽の落ちるまで<span class="big">遊</span>んでいた、あの頃だ。

たわいない冗談や明日もきっと楽しいに違いないと言う、
理由の無い<span class="big">確信</span>に、笑ったり歌ったりしていた日々。
そんな頃を思い出させてくれるセッションが
このCDからは、<span class="big">聴</span>こえてくる。
ロカビリーと言ったものが、どうやって生まれて来たのか、
ロックンロールはどういう風に<span class="big">始</span>まったのか、
言葉ではなく、音で、そのまま表現されている。
1950年代半ばという時代は、ロカビリーを<span class="big">必然</span>的に要求したのだろう。
政治的カオスは、人の心を、そして、音楽を、きっと映画も、小説も、
知らず知らずのうちに<span class="big">動</span>かしたのだ。

そうした、まだ<span class="big">混沌</span>とした時代の音づくりの楽しさに、
僕はハマったんだと思う。

もし、このCDを知らなくて、ロックンロールが好きだったら、
ぜひ、<span class="big">一度</span>聴いて欲しい。

ELVISの偉大さに改めて<span class="big">胸</span>を打たれるでしょう。
楽しくて、カッコ良くて、シャイで、でも
強烈な個性に<span class="big">溢</span>れた、このセッション。

時代の空気を感じさせずにいながら、どこかに<span class="big">漂</span>わせている、
彼らの気分は、哀し気にさえ思えるほどに、素晴らしい。

あ～ァ、<span class="big">才能</span>があれば、ミュージシャンの方が良かったなァ。
才能があったとしても、あまりにも<span class="big">遅</span>いよなァ。

チェッ！！っか。


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    <title>Short Short Film Festival</title>
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    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://taosa-world.net/cgi-bin/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=1/entry_id=87" title="Short Short Film Festival" />
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    <published>2009-06-29T02:23:24Z</published>
    <updated>2009-06-29T02:53:39Z</updated>
    
    <summary>春先にタイで３日間１８０カットという とんでもない撮影で完成させた Glayの１...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://taosa-world.net/">
        春先にタイで３日間１８０カットという
とんでもない撮影で完成させた
Glayの１５周年記念シングル｢Say Your Dream｣
のPVが、

        <![CDATA[<img alt="makimaki.jpg" src="http://taosa-world.net/makimaki.jpg" width="240" height="320" />
第11回Short Short Film Festivalの
音楽プロモーションビデオ部門第1回優秀賞を<span class="big">受賞</span>した。
授賞式は明治神宮記念館で行われ、
式には監督の<span class="big">S田</span>、カメラマンのHaya、
１st ADのM田、GlayのメンバーとプロデュサーのK池と僕が
前から<span class="big">3</span>列目に並んだ。
Short Filmとしての完成度には自信があったので
<span class="big">大丈夫</span>だろうと思っていたが、
発表直前までS田は緊張しっぱなしだった。
僕は、このテの授賞式は<span class="big">苦手</span>なので行かないようにしていたが、
今回は、時代考証、監修というざっくりとしたスタッフなので
気楽な気持で<span class="big">出席</span>した。

オフィシャル・コンペティション部門の<span class="big">審査</span>員は、
「おくり人」でアカデミー外国映画賞、日本人初の受賞監督滝田洋二郎、
松下奈緒、山本寛斎、森公美子、ロベルタ・モンロー(アフリカ系米国人
でショートショートフィルムのエキスパートのおばちゃん)といったメン
バーでいやはや<span class="big">賑</span>やかな事でした。
事務局の別所哲也君も大変だったろうなァという感じいっぱいの雰囲気だった。
授賞式なので、<span class="big">作品</span>はあまり見る事はできないのだが、
「Stop the 温暖化」部門というのがあって、
環境庁の次官や東京都の役人が賞状を渡しに来ていたのには、
ちょっと引いてしまった。
この部門の審査員は津川雅彦、長島一茂、山田優である。
なんで、また、<span class="big">一茂</span>なんだろうね。
もちろん、こうした部門も、Short Short Film Festivalとして
盛り上げるのは<span class="big">大切</span>な事ではあるのだが、
でも、なァ。

まっ、
何やら<span class="big">日本</span>の授賞式らしく、
和太鼓や三味線によるオープニングなどの
頑<span class="big">張</span>りもあり、
そこへ<span class="big">泉谷</span>しげると大黒<span class="big">摩季</span>が登場し、
来年から始まるミュージックShort Film部門に
楽曲を<span class="big">提供</span>するという発表はナカナカいけるものがあった。
上の写真は大黒嬢のものだが、僕は隠れファンでもあったので、
この日一番の<span class="big">感動</span>だった。

泉谷しげるは、相変わらずの乱暴者の姿にシャイを隠し、
<span class="big">吼</span>えていたが(実はワタクシ、泉谷のファンでもあるのです)
ナント、<span class="big">ミーハー</span>なワタクシは、この二人の登場で、
この授賞式をぜ～んぶ認めてしまいました。

クサイ寛斎も、自己顕示の<span class="big">塊</span>の如きモリクミも、
あまり良く知らない奈緒も優も、この場に不似合いな一茂も、
<span class="big">モッサリ</span>した役人たちも、
ぜ～んぶ受け入れてしまいました。
ファン<span class="big">心理</span>とは、そういうものでしょう。
我がチームの監督S田とGlayのメンバーが壇上に昇った時も、
何も興奮しなかったのに、泉谷、大黒の<span class="big">二人</span>に、
コロリとやられてしまったのです。
｢いやァ～、授賞式に<span class="big">来</span>て<span class="big">良</span>かったァ～｣
でした。

とにかく、S田君のホっとした顔つきに
こちらもヨシヨシと思いつつ、事務局が用意した<span class="big">二次</span>会場へ。
青山通りをちょっと入った、オトナのクラブ風スペースでありました。
どことない居心地の<span class="big">悪</span>さに、
S田君の子分や、作品に出演した若者たちも座りの悪さを感じつつ、
何故だか、<span class="big">叶</span>姉妹が乱入すると腰を浮かし気味にしているのも
ナカナカ面白いものがあった。

しかし、何だか醜悪なものですねェ。
日本の<span class="big">文化</span>とは何なのでしょうねェ。
僕は、何だか、檻のないオトナの動物園にいるようでした。

でも、そのGlayの｢Say Your Dream｣のための
ショートフィルムは、どこかで<span class="big">見</span>てください。
よく、あんな低予算で過密スケジュールで
出来たものだと<span class="big">思</span>います。

泉谷なんかは内情を知らないため
「Glayはあんな<span class="big">金</span>かけられるけど…」
といった発言もあったくらいなので、予算で苦労しまくったこちらは、
少しザマーミロと<span class="big">舌</span>を出したいくらい嬉しくなったものでした。
なにしろ、僕は、<span class="big">照明</span>の手伝いまでやったのです。
というか、やらずにはいられなかったのです。

今回、つくづく、ぼくは、現場が好きで、
<span class="big">現場</span>の人間なんだと思い知らされました。
良いにつけ悪いにつけ、
そういう男なのだと改めて<span class="big">知</span>った事は、
ここから先に<span class="big">残</span>された人生にひとつの指針を与えてくれたのです。
このショートフィルムは、まさしく｢Say<span class="big"> My</span> Dream｣でした。

いつも発信する場所にいる。創造の場にいる。
その事だけで、僕は<span class="big">長年</span>やってこれたのだと、確信しました。

僕は、そういう風にしか生きていけない。
不器用な方に<span class="big">入</span>るんでしょうねェ。
正直、器用な人が羨ましい時もありましたが、
もう、そんな気持とは<span class="big">Good-bye</span>です。

サヨナラでなく、<span class="big">ヴァイア・コンディオス</span>です。
神とともに行く、です。

う～ん、間に合うかなァ。<span class="big">いっちょ</span>、やるかー。

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